Vol.34 ロマンとパッションの狭間で、ツーリストシップが進化する

「ロマンを伝えつつ、パッションを消したい。」 文字通りに読み解けば、一体何のこと?と混乱さえしそうだ。ロマンを伝えるはまだいい、パッションを消したいとはどういうわけだ。 田中代表曰く、正確には「脱パッション」らしい。パッションは伝播の起爆剤でもあるが、逆に人を遠ざける圧にもなる。だから、熱さはそこそこにして、ツーリストシップという概念をロマンでもって優しく伝わっていくことを狙えば、本当のムーブメントが起こるのかもしれない。田中代表のその志はまるで、“青い炎”のようだった。青い炎…やや矛盾めいた表現だが、そういうことだから仕方がない。例えるなら、静かな闘志とか、乱れ飛ぶ凪、とか。まるでギンギラギンにさりげなくじゃないか。 しかしその光景は、ツーリストシップがもう一つ高みのフェーズに行き着いたことを意味していた。先日、衆議院の特別委員会でツーリストシップが取り上げられた。「観光客と住民が協力しあう意味」として、神奈川新聞にも掲載された。国会を席巻したツーリストシップには、パッションよりも大事な「新しい未来づくり」を、ある意味で訥々(とつとつ)と示し、実走させていくミッションを含んでいる。いみじくも、冒頭の一文が早々に、形となって表れた。 他方で課題はある。ツーリストシップの浸透度はまだまだ途上だ。そしていざ旅行者となった際に、ツーリストシップを胸に秘めて行動できるかどうか。その道程は決して容易ではない。 先日、仕事でベトナムのハノイとホーチミンを訪れた。久々の海外にやや不安はぬぐえない。しかしである。今の私は、以前とは違う。そう、私にはツーリストシップがあるのだ。 “ここにおわすお方をどなたと心得る。我こそはツーリストシップのパートナーであるぞ頭が高い。ひかえおろう。” いざ旅行者としての振る舞いを実践…と飛行機の中までは威勢は良かった。ハノイ空港に到着したその瞬間から、その心意気は脆くも風に飛んで行った。理解不能なベトナム語が眼前に迫り続ける中、ナニモワカラナイ土地で右往左往する私に、ツーリストシップのことなどまるで頭にない。ただ目の前のことに必死だった。税関に睨まれ、クラクションに慄(おのの)き、ホテルの扉を飛び切りの笑顔で開けてくれる従業員を前に「え?その笑顔ってチップ求めてるの」と懐疑心だけが膨らんでいくワタシの儚い心といったら。嗚呼、情けない。これが「この印籠が目に入らぬか」の惨状である。 伝わるということの意味は、恐らくそれを「自然に」「歯を磨くように」当たり前に出来上がっている状態を指す。その高い高い理念に向けて、ここまで大きくなったツーリストシップだけれど、ここから登るべき山は険しい。フェーズが変わったツーリストシップの、実情であり課題であり、それこそがロマンでもあろう。 セッションの後半、更に面白いことができるのではないかと盛り上がった。ツーリストシップに集うメンバーもまた、この機会で何かムーブメントを起こせるのではないかと。その話はまた追々この場でお示しするとして、こういう融合による新しい扉もまた、今後田中代表が出会う様々な冒険の中でどんどん開かれていくのだろう。 「ロマンを伝えつつ、パッションを消したい。」 この言葉に秘められた意味の深さと「高さ」は、きっと想像以上だ。

vol.33 一周回って映る景色

「一周回って新しいぞ、それ」 もう20年くらい前。何も考えずに服の上下をストライプで揃えてしまった。まるで吊るされた素麵のような出で立ちを前に、あざ笑う友人たち。一人暮らしの時は、自分しか服装のチェックができないから、鏡の前に立つ時間を失うとロクなことがない。しかしその直後に、「一周回って」という言葉が出た。妙に記憶に残っている。 一周回るという表記は、今思えば大きく二つの用途がある。行為と比喩だ。行為としては「グランドのトラックを一周回った」「一周回って見せてごらんよ」「あのトロサーモン、一周回ってきたぞ」といった風な、何かが文字通り一回りしてきた様子を指す。 もう一つが面白い。「一周回って面白い」「一周回って追いついた」「変態って一周回って天才だよな」といったような、一周回ることで原点回帰だったり、昔のものや劣っていたものが「一周回る」ことで何かしらの力を得る。説得力なのか、レベルアップなのか。螺旋階段のような上昇機運ならまだ合点もいくが、一周回ることがなぜスケールを大きくしたり、今までにない価値を引っ提げてくるのか。日本語の比喩はこれだからオモシロイ。 田中代表も、御託に漏れず「一周回った」。ツーリストシップが一周回って、「マナー啓発」を促す表現をしている。本来ツーリストシップは、マナー啓発を指すことを半ば嫌っていた。旅人がマナー啓発って、そもそも楽しいのかそれ。旅は確かにマナーも大事だが、本来人は「楽しいから」続けられる弱い生き物だ。そこに啓発とか言って、浸透するわけがない。そんな想いがどこかにあった。 しかし、ツーリストシップの活動を積み上げ、折り重ねていくうちに、時代も環境も、そして目指すビジョンも変化を遂げている。潮流は決して、新しいものを次々には求めない。足元に既にあって、その価値をひたすらため込んでいたモノたちが、一周回ってワンと吠えるのだろうか。 「マナー啓発のバージョンアップとして伝えていいんじゃないかと思えてきたんです。それはあくまでも、伝えるためであり届けるため。そして実際に、そのことが《現れる》ために。」 田中代表をリアリストとは言わない。しかし、リアルな浸透策は得てして俗世間の生命線だ。行政と共に、旅行者と共に、住民と、観光地で商いをする方々と共に、伝わり届く本質を探り当てようとしているのだ。 ツーリストシップの一周は、決して容易いものではなかった。幾多の試行錯誤と喧々諤々とした議論を要した。だから、「一周回ってマナー啓発」には厚みがある。その言葉の意味するところ、来るところがまるで違うのである。 20年前に私が着こなした「ストライプ&ストライプ」は、かつての「まえだまえだ」のような可愛げがあったわけでもないし、奇をてらったニューセンスをカマしたわけでもない。完全なチョイスミスだ。しかしその出来事は、今もこうして記憶に残る。一周回ることで、その物語が違う表情を持って来てくれる。たくさんの風を感じて、その一周が、深い洞察と根を張る意味をもたらしてくれた。ただ言えることは、あの日からストライプの服を選ばなくなった。おかげであの日は夜中まで縦の罫線を身にまとい、心穏やかに過ごすことができなかった。嗚呼、ストライプ。なかなかの苦痛であった。 一周回ったツーリストシップは、その原点と、一周のうちに出逢った様々な軌跡を小脇に抱え、まだ見ぬ航海へと胸を膨らませる。そういう夢のある《一周回る》を、ツーリストシップは体現し始めた。マナー啓発のツーリストシップ、実に爽快で心地いい、reborn(リボーン)である。

vol.32 狙わない強さに、震えた夜

旧友と3人で呑んだ。半年ぶりである。 …と、フレンドリーに「旧友」なんて書かせて頂いているが、二人とも大先輩だ。 仕事で絡んだことはほとんどなく、ただ純に「飲み仲間」として付き合っていただけるのは、普段あまり「ただ飲むだけ」の会にはほとんど行かない私にとって、却って珍しく、面白い。 話す内容も、実に他愛もないことばかり。強引なダジャレや、ニッチでレトロな昭和ネタが指し込まれては、何それと声が弾む。 しかし今日の話題は、ダジャレもレトロもそこそこに、一人の先輩の「激やせぶり」でもちきりだった。この3か月ほどで15キロの減量。さすがに触れないわけにはいかない。「お久しぶりです」の言葉を押しやり、まず出てきたのは「どうしたんすか、それ」だった。 「まあ、私は毎日見てるんで、話題にならなくなったけどね」 激やせの先輩を前に、もう一人の「ダジャレ王」が悠々と呟き、既に半分飲み干したグラスを傾ける。彼に言わせれば、もう激やせは「当たり前の光景」になったそうだ。 毎日見ているものと、半年ぶりに見たものとの差異。外からの刺激も、習慣的な視覚を前にすると、気づきのアンテナを閉じてしまう。しかし言い換えれば、日々の変化は「気づきにくい」だけで着実に変化を生み出している。1か月もあれば人間の体の細胞はまるっと入れ替わっているらしい。変化は何も「分かりやすいもの」だけを意味しない。「変わらないほど」の変化こそ、習慣に溶け込んだ成長の醍醐味なのだろうと、思った。 さて、ツーリストシップアワードが大盛況だ。それぞれの旅の想い出を、写真を添えて応募する。そこで出会ったドラマ、偶然の意味を探り、ツーリストシップが花開くコンテスト。150あまりの「大切な旅の物語」が集まった。これを成し遂げたのは田中代表、ではない。インターンとして参加してくれた学生たちの力だ。 一人ひとりの誠実な態度の賜物であることは言うに及ばず、特に陣頭指揮を執ったHさんの活動に触れないわけにはいかない。田中代表が今回、特にこのHさんの成長を肌で感じ取っていた。 「どうやって人に動いてもらえるか」 ディレクションに頭を痛めた田中代表だからこそわかる、物事を進める難しさを、Hさんは空気の醸成力で心を揺さぶり、人を動かした。否、「動かした」と書くと操作的で合致しない。「結果として」人が「動いた」のである。 MITのダニエル・キム教授が提唱した「組織の成功循環モデル」によれば、成果を生み出そうと「結果の質」から事を動かすと失敗し、成果の前にメンバー間の信頼関係を指す「関係の質」から関わることで、結果的に成果につながるという研究結果を出して話題になった。Hさんのそれはまさに、「結果として」成果につないだ、関係の質向上が魅せた日常的な関わりによるものであったのだ。 しかし当の本人は飄々としている。凄いことをやってのけたと息巻いてもいない。ただ純粋に、集まったことを喜び、「これがツーリストシップのいいきっかけになれば」とただ、ワクワクしている。成果を追わず、共に分かち合う関係の質向上の要因は、そんなHさんの人間性にまで話が及んだ。田中代表だって20代の若者である。なのに、その若者をして「この若者は凄い」と言わしめる柔らかさである。既にもう「次の萌芽」が雪の中からひょっこりと顔を出している。そんなことがツーリストシップでは日常化している。末恐ろしいまでの習慣形成ではないか。 旧友の激やせも、習慣となれば目に入らなくなる。人の成長も、日々見ていればその変化に気づかない。見えず気づかず、それが悪いわけではない。それくらい、人の変化や成長は、日々の微妙な消息に宿るということだ。そして、世の中を席巻する「これであなたも見違えるくらいに良くなる!」という太鼓を叩きまくるかのような無理な宣伝広告に惑わされてはならないという、これ以上ない教訓なのである。 「次元ヘアカラー」 帰路の最後に大先輩が言い放ったこの言葉。いわゆる昭和時代にテレビCMを凌駕した「あの」ヘアカラーの名前と、着てきたコートのたたずまいが「まるで次元みたい」と表現した私の言葉とを共鳴させて生まれた。この編集力といい、間(ま)といい、タイミングといい、この何気なくも柔らかい笑いを、その大先輩もまた飄々とした様子でいとも簡単に表してしまう。そんなに面白い?とでも言わんばかりに。 人は動かすものではなく、その人のたたずまいや揺らしによって「動かされるもの」なのだろう。Hさんと、大先輩の「次元ヘアカラー」が、どうしてもダブって見えた。この、説明ができない凄さを身にまとう人たちは無敵である。緩やかにして、ぶれない。そんな人たちが、田中代表にとっても私にとっても、憧れなのである。 狙わないという強さが、これ以上ない精巧なロックオンを実現し、真ん中を射止めてしまう。よくよく考えれば末恐ろしい能力だ。そんな能力が、これからツーリストシップでも展開される。楽しみすぎて、足が震えた。

Vol.31 ディレクションにもがく春。

それは明らかに「起きたばかり」の声だった。 最近の早朝ヒアリングにも幾分慣れた頃、疲れは不意に体を襲い、寝覚めを悪くする。慣れというものがなければ人は生涯に渡って緊張し続けないといけない。だから「お前最近、緊張感がないぞ」というのは別段悪いわけではない。適応力の高さであり、昨今使われ始めたカタカナの一つ、「レジリエンス」の発揮そのものである。 慣れによって寝覚めを鈍化させたその体が、少しずつ熱っ気を帯び、テンションが二次関数のように空に向かう。その原動力となったのは、「ズレ」という課題が話題に上ったあたりだった。 田中代表は今、ディレクションという仕事の難しさを噛み締めている。ディレクション、言うなれば求めるゴールに向けての管理力と、資源の適切な再分配力が求められる仕事だ。世の中にあるものの大半は、誰かの手によってディレクションされたものの集大成であり、その過程のドラマであり、地味でも派手でも、そこには人の手によって現された何ものかがある。ディレクターの意志とはまるで真反対の方面に転がることもあれば、その意志に勝手に呼応し予想外の大作を生み出すことさえある。それぞれの発揮する能力を発揮させながら、その個性を開花させながらも、一つの大きな大河にアサインしていく調整力も問われる。突破力に満ちた人は得てしてその加減を知らない。行動力に長けた人こそ、このディレクションは却って難しいかじ取りを迫られる。 そう、田中代表もその恵まれた突破力が幸か不幸か、ディレクションに頭を痛めていた。しかしただでは転ばない。手痛い話なのに、にわかに声色が太くなり、今にも飛び上がらんとするその勢いが、さっきまで寝ていた人とは思えないほどのイントネーションになっていく。そうだ、このズレこそが躍動感を創り出すのだ。 人は「ズレ」や「違和感」からくる「なんでだよ」みたいな欲求不満な自分自身に、力が沸き、叡智が宿る。順風満帆でなだらかな暮らしに、眠気を覚ますようなアトラクションは期待できない。その力強さは、「ズレ」によって生まれる。私は、そんな血気盛んな鼓動と、早朝から出逢うことができたわけだ。 そしてその葛藤は、挑み続ける人間にとっての栄養剤となる。その葛藤が成長の起爆剤だ。確かにゆるやかな流れも悪くない。しかし、その落ち着いた趣(おもむき)は、荒れ狂う波の谷間にあってこそ心が解かれる。暴れん坊な展開と昵懇(じっこん)の間柄になることこそ、本当の安定を手に入れることができる。そうだ、今にも春の嵐がやってきそうだ。田中代表から聞こえる試練の連続に、そんな連想も生まれるわけだ。 3月は、出会いと別れが交差する。田中代表の出会う旅も、東西南北では飽き足らず。その躍動感は、何もフィールドの広さだけを意味しない。上下左右に揺らしながら、一つの作品を仕上げていく深さにも手を伸ばそうとしていたのだ。 田中代表。あなたは一体、どこまで大きくなるのですか。出会い別れる旅の一つひとつに、何を想うのですか。静けさに整う朝、そんな問いさえも生まれる。「起きたばかり」の、春暁(しゅんぎょう)の頃である。

Vol.30 南国の空に、浮かぶ凧

暖冬とはいうものの、なかなかな底冷えの2月。田中代表は石垣島にいた。 「飛び込みたくなりますよ」 冷える本州とは裏腹に、石垣に映えるのはまさに燃える海、青い空。島が織り成す誘惑に体が吸い寄せられる。 『凧(いかのぼり)きのふの空の ありどころ』 与謝蕪村氏が詠んだとされるこの歌は、空に舞う凧を見て、いつかの空を思い出したという意味があるそうだ。その時思い出した蕪村氏の空は、いつの、どんな頃の自分であったのだろう。果たして石垣の空は、田中代表のツーリストシップを、どのように映し出したのだろうか。 この日のセッションは、「食べていけるかどうか」という話が後半を占めた。数々の学友たちが就職していく中、田中代表はほぼ一人で、この社団法人を立ち上げ、いわば他とは異なる道を選んだ。資金繰りは大丈夫か。人は集まるのか。試練は多く、障壁もあったことだろう。あの日、どうしようもなく天を仰ぎ、嘆いたであろうあの空たちは、今の田中代表にとって、どう映るのか。当時の大変だった頃(今も決して大変ではないということではないが)凧が仮に空を泳いでいたとしても、彼女の目に入ることはなかっただろう。 石垣島の方々との触れ合いが、更にツーリストシップを大きくした。語れば語るほど、膝をつき合わせればつき合わせるほどに、関係性が築かれ、新たな展開が生まれていく。人は仕組みでは動かない、関係性にこそミッション実現の糸口がある。鼓動を傍で感じられるような距離感にこそ、本当のツーリストシップがあると実感する。 石垣島での滞在で、改めて思ったことがある。資金面において、もっと有効活用できる方法はあるはずだと。もっと効果的に、そして効率的に、ことを進める手立てがある。滞在の中で、島民の方々と触れ合う中で、思っていたことがやがて確信に変わる。だからこそツーリストシップが必要なんだ。だから私はこうして、稀有な道を、いばらの道を選んだのだ。凧が舞うあの空に、南風が吹いた瞬間だった。 気が付けばこの連載も30作を迎える。果たしてどんな方々に、どんなことを思い描きながらご覧いただいているのかは、小生知る由もない。行為そのものとしては、ただ空に向かって空砲を打ち鳴らしてきたのと同等であろう。しかしその空に、どんな意味を見出すかは自由であり、選択の余地は広い。読者の方々からの反応は力になるが、その反応ばかり追っていては肝心なことを打ち損ねる。寄りかかり、解き放ち、この距離感の連鎖が30作を生んだといっても過言ではない。そういう節目に、この石垣島の、そして「きのふの空」を取り上げたことは、決して偶然ではない気がしてくる。 「飛び込みたくなりますよ」 日々《飛び込み続けてきた》田中代表の言葉だからこそ思わされる。実はもう彼女はその海に飛び込んでしまったのではないかと。南国の海とはいえ2月である。想像するだけで鳥肌が立つ。実際あの後、本当に《飛び込んだ》のかどうかは、想像に任せることにしよう。 『凧(いかのぼり)その空砲の ありどころ』 拙い文章にここまでお付き合い頂いた皆様に感謝を添えて。改めてこの場をお借りして、御礼申し上げます。小生の空砲が、皆様の心に、その青い空に、どんな音色を響かせているだろうと想像にふけりながら。そして田中代表が、2月の海に飛び込むさまを、想像しながら。

Vol.029  いま、「ゆらぎ人生」が面白い。

私のわがままで、今日は早朝からのヒアリングをお願いした。最近夜中にやると、うちの子どもたちの評判がすこぶる悪い。「夜遅くに何やってんだ」というお叱りを受ける始末だ。無論、やっていること自体は非常に健全であることは間違いないのだ(というか信念しかないわけだ)が、日頃「早く寝ろ」とまくし立てているのは親である。まあ子どもたちの言い分はごもっともであり、従うべきだ。…まさか、 「いいか、お前らは余計な事言わなくていい。俺に時間帯など無関係だ。いいから黙ってろ」 みたいに言うわけにはいかない。昭和の親父ならばこういう感じなのだろうか。我が家にそんな文化はない。ダメなものはダメ。その理屈に立場も年齢も関係ない。昨晩も食事中、「左手はテーブルの上!」と長女に叱られたばかりだ。そういうわけで今日は、田中代表には早起きをしてもらおうと思ったのだが、既に彼女はもっと早く起きていた。 田中代表の、忙しい合間を縫っての早朝である。福岡空港にて移動しながらのヒアリング。横から聞こえる歯切れのいいアナウンスの発生が時折、対話の中に滑り込んでくる。その都度ヒアリングは中断され、聞き返し、仕切り直される。 電波の都合、騒音の侵入、それらをかき分け、文字に起こす。このありさま、「そんな簡単に、すんなりいかない」ところがまた憎いとでも言いたげだ。どこか、人生の縮図にも思えてくる。言葉の断片だけが耳に入る。決して悪いわけではない。その断片から想像される全体像が、創造性を生み、夢を創り出す。不完全を危惧するよりも、この不完全な断片が面白いのである。今ここにあるノイズでさえ、出逢いである。そう思いながらも、何度も聞き返す自分がいた。 大分での講演を終え、田中代表は心が震えた。書籍にサインを依頼され、「また来てください」と言われたこの地を、田中代表は「今後もイベント等で注力したい場所になった」と声が弾む。それはツーリストシップの未来に対する大きな期待であった。だから余計に、その想いが、暖かさが、しみた。大分の地元の方々の、まさに誠心誠意のおもてなしが、田中代表の心を打った。感謝の念に堪えない感覚を持ったまま帰路につく。当然のように、後ろ髪を引かれる。「また来たい」が自然と沸き起こる。感謝の連鎖が生まれた瞬間だった。こういう出逢いの連鎖を、幾度となく経験してきた田中代表でさえ、今回の体験は稀有だった。 他方で課題もあった。この先のビジョンに対しての、協力者(メンバー)との向き合い方である。ツーリストシップを2024年の流行語大賞にする。そのためにも海外での認知を上げていく。その力強い宣言の裏では、「誰と」その喜びを分かち合うか、社団法人としての活動そのものを見つめ直す時期にきたと感じている。言い出しにくそうに切り出すその声色は、少し揺れ動いてはいても、澄んだものを感じさせた。 たくさんの方々に支えてもらった、その感謝をどうやって返すのか。メンバーの顔が浮かんでは、思うことがあった。「そんな皆さんご自身は今、それぞれの場で、何を思うのだろう」と。田中代表は今頃、飛行機の中で「揺れている」。 いま、「ゆらぎ人生」が面白い。 文筆家の藤井康男氏が30年ほど前に書いた書籍のタイトルである。詳しく読んではいないが、私も意味は違えど、「人生は揺らぎではないか」と思うことがある。その揺れの中にいるからこそ、芯は掴める。直線でつながれた最短距離の成功では、あまりにもドラマがなさすぎる。今まさにその「揺れ」こそが、田中代表にとってのジャンプ台になるのだろう。 論点はもう一つある。ジャンプするそのバスに、誰と乗るか、という問題である。ツーリストシップのバスは、既にかなりの速度で駆け抜けている。先日、世界的に権威のある『X.Awards』で田中代表はリーダーシップ賞を受賞した。決して簡単な事ではない。目覚ましい活躍、加速するバスがこうして形となって証明された。今後益々加速していく。その加速するバスに誰を載せるのか。揺れるバスの車窓から、何が映るのか。ツーリストシップは田中代表に、誰を乗せるのだと、囁いているのか。 「家揺れてるって。やめて」 貧乏ゆすりする私を諫(いさ)める長女の指摘が今日もこだまする。その声に耳を傾けるかどうかは、この先の長女との関係性を左右する。私のバスにはもちろん、家族が乗っている。左手を指摘されても、貧乏ゆすりを叱責されても、私にとってそれは痛い指摘と共に、何にも代えがたい貴重な財産だ。 しかしツーリストシップとなると、そう簡単ではない。様々な時代の流れや市場の揺れを感じながら、社団法人としての在り方が問われる。様々な揺れに身をゆだね、決断していく運命を背負うのだ。 いま、「ゆらぎ人生」が面白い。 この言葉、俯瞰すればするほどに、今後を左右する重要なキーワードに見えてきた。「ゆらぎ人生」とは何なのか、藤井氏に直接聞きたいところだが既に鬼籍に入られている。田中代表がその答えを見つけ、走らせたバスがいよいよその目的地の前にやってきたときに、真相がわかるのだろうか。 真相はさておき、ただ言えることがあるとすれば、今朝、我が子どもたちの忠告通りに夜中のヒアリングを回避したことで、幾分評価が上がるだろうことは間違いない。何にせよ、ストレートにものを言ってくれる存在は有難い。痛いことを平気で言ってくる煙たい存在こそ、同じバスに乗せるべきかもしれない。そんなことを思っていると、薄暗い空に朝日が昇った。 うん、今日みたいな「揺れる朝」も、悪くない。そういう揺れを《感じ続けられる》ことが、生きるということだと思うから。

Vol.028  台湾3泊4日の《ぶら田中》放浪記

※元日に発生した能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。 それは、旅に対しての「もう一つの価値観」に出逢う《旅》だった。 3泊4日、田中代表は単独で台湾に行った。何のプランも持たず、何の事前準備もせず、である。もともと台湾は、田中代表が子どもの頃に住んでいた場所。だからと言って、わざわざ無計画で3泊4日とは恐れ入った。 「ガイドブックも持たず、ただ街をウロウロしてみたかった」 そんな思いつきは、ただの直感ではない。旅の常識に、自ら一石を投じたくなった。 「みんな観光地といえばココ、という人気スポットに集まる。  コアで地元の人しか知らない場所にいけば、観光客が分散する。  そういう狙いもあっていい気がした」 SNSが市井の声を拾い、万人にチャンスを与え、ボーダレスにしたと言われるが、却って情報の格差、価値の格差を生んだと田中代表は考えている。だからこそ、分散すること、そして観光スポットではないところに行って、新しい出会いを生み出すことも、旅の醍醐味なのだと主張する。それを身をもって体感しに行ったのだった。 「観光地に行かなければとスケジュール詰め詰めの旅では出逢えない人がいました。  それは、地元の方との触れ合いであり、何より、自分自身だった」と田中代表は振り返る。 写真を少し拝見した。いわゆる観光地のメッカでは出逢えないであろう、地元の方々の笑顔、そしてレトロなカフェ。着飾ることはない代わりに、どことなく不器用というか、整っていない感じにも映る。その一つひとつは確かに立派な観光名所とは言いづらいものなのかもしれないが、人の体温があり、生活の息遣いが感じられる。用意されていなかった偶発的な出逢い、その一人ひとりには勿論、今ここでは到底理解しえない壮大な人生ドラマが幾重にも折り重なっている。荒れた手の甲が、刻まれたシワの一つひとつが、きっと多くの苦労と歓喜を手繰り寄せた軌跡の数だ。そう思うと、出逢う度に何だか凄い気持ちになってくる。やがて織り成す出逢いに、自らの人生を重ね合わせる。旅が私に、奇跡をくれる。やがて意味が、立ち現れる。台湾の旅で得た「もう一つの価値観」とは、そういう昨今の旅行事情に待ったをかける、大人数が集う安心感だけが観光ではないのだという訴えでもあったのだろう。 他方で、用意された人気スポットの価値は観光の生命線だ。当然である。集客力は確かに力であり正義だ。その力学が観光業界の盛衰を大きく左右する。「観光地が盛り上がる」とは、いわばマネーの綱引きに勝つ事であり、パイの取り合いを制することだ。それが現実なのだ。 しかし、そんな景気のいい話を、もはや分かったように推測し、計画通りにことを進められるなどと、うぬぼれてはならないとも思うのである。どこで何が生まれるか、何が本質的な価値になるか、まるで読めない予測不能なものにこそ、私たちはそのスリルにおぼれ、ワクワクしてきたのではなかったか。 「人間が自分の知恵や技巧に自信を持ちすぎて、何もかもが計画/計算ずくで事を為そうとする、そういうビジョンはたいしたことはないので、そういう「計らい」の外に出て行く何かこそ、現代にもっとも大事なことではないかということである。(中略)私の本音として、最後は結局、ある不可思議な何かに導かれていくことになるのではないか、そしてそれが本当に生きるということなのではないか。」 民族地理学の第一人者・川喜田二郎氏の言葉だ。川喜田氏は知ってか知らずか、この国は今年、元旦から大きな試練を背負った。日本列島は、世界の地震の10%を《保持》している危うい船である。そういう偶発性は何も良いことばかりではない。しかし、その良いことではないものを《良くしていく》可能性を内在していることもまた、川喜田氏の言葉を借りれば、「生きる」ということである。 「私って案外、人見知りなんだなあって、思っちゃいました」 今回の《ぶら田中》の旅は、思ってもいなかった自分自身への内省の旅でもあった。用意されないことの価値は、この先のツーリストシップを更に大きくすることだろう。

Vol.027  異文化交流のツーリストシップが始まる

ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーは、 『存在と時間』という著書の中で、生と死をこのように表現していた。 「人は死を隠して生きている。  だから《今ここ》の生を掴み切れない」。 死とは個人における終わりを意味している。終わりがあったとき、人はその日常の些細な出来事、何気ない景色に今まで感じたことのなかった意味を見出す。 彼の言う《今ここ》とは、私にとってはそういう、日常のあらゆる体験、景色に焦点を当てて、「今あるもの」を感じ続ける生き方の推奨を意味していたのではと、私なりに勝手に解釈していた。 田中代表から、ツーリストシップのコンセプトを整理したという話を聞いた。 「今一度、私たちが何を目指しているのかを明らかにしたい」 その《明らかにする》ための方法として、彼女は法人の信念を変えるという大胆な行動に出た。 「一見するとあまり変わった感じしないかもしれませんが、  結構変わってるんですけど、どうです?」 いやいや、私に言わせれば大きな舵取りである。大転換はこうして、ごくありふれた日常の中に、何気ない顔をして突然訪れるのかと思った。 マナー啓発団体から交流創生団体へ。 旅行とは、異文化交流である。 この、シンプルで力強い言葉を、まさかこの年末に聞けるとは恐れ入った。 13ページにも及ぶコンセプトの概要に目をやる。概念性の高いものから、具体化されたプランニングまで、そして今抱えている課題も勢ぞろいしていた。 そう、まるで、「終わりを意識した人間」かのごとく、《今を生きる》田中代表の佇まいとして現れていたのである。 Q&Aが特に印象深い。 Q1 なぜトラベラーではなく、ツーリストなのか。 これは言われてみればその通りだ。どちらも旅行者という意味がある。 ロゴの感じとか、発声の言いやすさなんだろうかと続きを読むと、こうなっていた。 トラベラーは、トラバーユ=労働であり、ツーリストは、ターン=回る。 つまり「色んなところに行き、交流をしていく」イメージに適しているのがツーリストシップ。 大胆な行動の裾野には、細部に宿る神経質なまでの配慮がある。 そして彼女にとっては、ちょっとした変更、「異文化交流」という言葉をメインに据えたことについて、「一見するとあまり変わった感じしないかもしれません」と謙遜したが、いや、私にはわかる。大胆にして繊細な一歩であることは間違いない。 そう言えば田中代表は最近、風邪をひいたらしい。健康って大事だな。そんなことを思ったそうだ。 先日も、今年最後の講演で喉が渇いて話しづらくなり、本人としては不甲斐ない、申し訳ない時間にしてしまったと反省していた。 来ていただいた方にとっても、この一瞬しかない価値ある時間を思えば、「もっともっと頑張ろう」「健康万全で挑もう」という意思が芽生える。 《今ここ》の生を掴み取る活動に立つからこそ、感謝も生まれ、人の痛みも分かち合える。 今思うとこの1年、あらゆるニュースに目をやると、《今ここ》を捉えきれなかった出来事が多すぎた。 相手の喜び、痛み、悲しみに寄り添えるというのは、日常に思いを馳せ、その日常の小さな変化を大胆に起こせる人を指すのかもしれない。勝手ながら、そんなことを、思ったのである。 やがて時間になり、セッションを終える。 恐らく今年最後になるだろうこのセッションの終わり方も、実に日常的だった。 また次が、始まるのである。ツーリストシップの日常がそこにあるのである。 《今ここ》の生を感じ、掴み続ける活動が、積み重なるのである。 年末の夜も、そうでない夜も。 「人は死を隠して生きている。  だから《今ここ》の生を掴み切れない」。 異文化交流としての、《今ここ》にあるツーリストシップが、始まろうとしている。

Vol.026  「もう大変」な師走にふと、思うこと。

2023年が終わろうとしている。 年の瀬に入り、まさに「師走」という言葉がぴったりのバタバタな日々を、皆様はお過ごしだろうか。 師走という言葉の語源は諸説ある。「お坊さんが走り回るくらい忙しい」が有力な定説だそうだ。お盆ならいざ知らず、年末のさなか、昔は家にお坊さんを招いてお経をあげてもらうような風習でもあったのだろうか。そんなお坊さんに負けないくらい、「忙しく」慌ただしいニュースが最近目立っている。 自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる問題、いわゆる「あんたら、キックバックもらってるうちゃうん?」である。 日々報道が更新され、あの人もか、この人もかと、具体的な政治家の方々の名前があがる。おそらく党本部は、この対応に追われ、まさに「走り回っておられる」ことだろう。 やや客観的に見たとき(過去幾多のお金の問題が取り上げられるたびに)、思うことがある。 確かにそれが悪いことでしたと決まれば看過できないのだろうが、そもそも、なぜこうして時代が変わろうとも、お金の問題、つまり組織に根深く突き刺さる疑惑は後を絶たないのか。 そういう人物を政治家に選んだ有権者の責任、というロジックもなるほど正しいのかもしれないし、ワイドショーでもよく耳にする展開だ。しかし、いやいや、「そもそも」である。私はどちらの肩も持たない主義だが、どうしてもぬぐえない疑問がある。 どうして「ダメと分かっていること」が起こってしまうのか。大きな組織・政党を維持するうえで「何がそうさせているのだろうか」という問いに立ってみることはできないのだろうかと。 仮に、私のような庶民には知りえない力学があって、そうでもしないと政党の運営が持たないとすれば尚更である。個々の政治家の行為以前に、そういう仕組みや組織体でことを進めようとしている運営面に課題はないのか。課題とするテーマ設定を見直すことはできないのだろうかと、そういう気がしたのである。 「もう大変です」 最近の田中代表は、第一声の言葉をしれっと冒頭に載せていく私の癖を見抜いてか、なかなかキャッチ―な言葉を言い慣れてきた感さえある。力強いというか、「待ってました」のような、そんな空気感が電話越しに伝わってくる。 「大変」なのは言うに及ばず、ツーリストシップ訴求のために何が今必要か、その戦略が「大変」なわけである。やることも多い、課題も降ってくる。判断選択の機会も増していく。 嗚呼、もっと考える時間が欲しい。ツーリストシップの哲学が社会に根を張り、ぶれずに前に進めるにはどうすればいいか。そうか、私の右腕となってくれる人が必要じゃないのか。そんなことが頭を巡る。 そこで考えていることが、ツーリストシップの組織化だった。本部機能を充足させ、機動力と共に統治基盤を固めていく。あわせてツーリストシップという言葉の軸となるものを、さらに明らかにし、伝え届けていく仕組みを構築すること。このことが、未来のツーリストシップには欠かせないということだった。 もう一度言うが、私はどの政党にもどの立場にも身を置くつもりはない。しかし、ここでふと、最近の報道を思い出す。きっと、恐らく、対応に走り回る方々も、ツーリストシップに負けないくらいの志と思いを立てて今日を生きておられるはずである。なのに、こうして、疑念を晴らすことに「走り回る」年末を過ごしている。本来の国是に寄り添えぬ歯がゆい日々を目の前に、私はそのことが無念でならない。 田中代表の描く組織は、この先の未来をどう照らしていくのか。今まで以上に地球儀を駆け回り、汗をかき、そして大きなうねりと哲学を携(たずさ)え、価値を創り続けるであろうことは目に見えている。しかし願わくば、未来に向けた志「以外のこと」で、走り回るようなことにはなって欲しくないなと、まるで親心のような気持ちで聞いている私がいた。 資金面の壁、言語化の壁、組織化の壁。あらゆる壁は、田中代表を更に大きくし、しいてはそれがツーリストシップを磨いていく。それは、理事をはじめとして様々な先輩方の声を真摯に聞き入れ、即座に改善に変えている田中代表の姿勢あればこそだ。 2023年が終わろうとしている。 ツーリストシップの師走は、「忙しく振り回される」師走になるか、はたまた、嬉々として地球儀を駆け回り、その度に活力を高め合える「充実した」師走になるか。 「トップ以上の組織はできませんから。」 最後に聞いたこの言葉で安堵した。私の懸念は、杞憂であった。

Vol.025  へこみ、ふてね、おこり、きづき、つかれた。

いやー、ふて寝。 ただ寝たいだけ。 ほぼ1か月ぶりの「第一声」だ。というより、私が書いたメモの冒頭だ。 行動派も時には休む。揺れ動く感情、立ち現れる現実、その乱高下する波と戯れ、彼女は遂に、ふて寝を選んだ。 2度目の福島。そこで彼女は忘れられない書籍に出逢う。 小熊英二氏の『ゴーストタウンから死者は出ない』。その一節をご紹介する。 「被災地は大変です。一生懸命やっているが、自分のやっていることがどれだけみんなの役に立っているかわからない。」 ここで読み取るべきものがもしあるとすれば、「被災地は大変だ」という労いではなく、「なぜそんな想いに苛(さいなま)れるのか」という社会構造に対しての疑問符であろう。 職員の使命感や熱っ気とは裏腹に、その熱意を受け止める「計画性」に問題が生じている。この計画で出来るかどうかも分からないまま、職員の方々は目の前の人、そして課題に立ち向かっている。皆さんもご経験あるだろうか、せっかく熱心に作ったのに「ごめん、それもういらなかった」とか言われたときの衝撃。私だったら音まで聞こえる。がびーん、なのか、どどーん、なのか、それはその時々で違うだろうが、とりわけあの被災地での懸命な努力が計画性のなさによってもし不毛となれば、「どれだけみんなの役に立っているかわからない。」と吐露されても文句はいえまい。 つまりは、実感が持てない。 疲労感だけが募る、そしてやがて朽ち果てる構造なのだ。 この実態の欠乏が、彼女の心を打った。福島の現実を見た。 何とかしないといけない、こんなの、あってはならない、と。 ツーリストシップの普及に奔走するのは、まだ見ぬ観光客や住民の方々に、もっと本来の、楽しく意義ある社会を体感してもらいたい、否、もらう「べきだ」という強い意志だ。 福島の現状への違和感、行政を巻き込んでのロビー活動、その一つひとつが、本来のあるべき姿との乖離を原動力としていた。 彼女は「まだ」20代なのか、「もう」20代なのか。40代の私に言わせれば「まだまだ若い」となるのだろうが、社会の、そして世界の在り様から逆算すれば、「あとわずか」という形容しか合致しない。待ったなしだ。その上での、ふて寝、である。それほどのインパクトを、もたらしたのだろうか。 布団にくるまった時間は、それこそ数十分か一時間か、それくらいのことなんだろう(もちろん私はよく知らない)が、彼女の体感時計では3日間くらい寝続けてしまったくらいの「冬眠」である。 「被災地は大変です。」 言葉だけなぞれば、誰もが共感し納得する。しかし、ここに行き着くまでの道のりは、その場に立ったものでなければ、分かりっこない。簡単に納得されれば、それこそ福島が黙っていない。 それでも私たちは、何とか手を伸ばし、足を向け、その場に立ってみようと試みる。目を閉じ、心を冷やし、被災に遭った方々の鼓動を探る。しかしその度に、届かない自分の手足に、響かない自分の心に、冷ややかなものを感じ絶望する。でも、…それでも、…何か一つでもと、もがき、喘ぎ、そして、「ふて寝」する。この繰り返しは、確かに悲劇であり悲哀であるが、もしかするとそれさえも唯一の希望にするしかないのだろう。被災という体験を持たぬ私にとって、それしかできない無力さが光になる。無力であるということの実感と、その実感に立つからこそできる何かを「探すことができる」からだ。 実感が、持てない。 それは何も、あのコメントに託された当事者の想いだけではない。被災者ではない、それ以外の人の心にも、その言葉は十分なほどに内包される。実感の欠乏を静かに憂いでいる。実感が持てないということを、実感として持ち得ている。この強烈な現実を抱え、その狭間で、彼女は今日もツーリストシップを生き、笑顔で旅先クイズの旗を振る。 「へこみ、ふてね、おこり、きづき、つかれた。こんな感じですかね」 セッションの後半で言い放ったこの言葉は、シンプルにして深い。言うなれば人生、案外淡々と進むものだ。そのこともまた、田中代表は理解している。 この直後、今から別の方と打ち合わせしなければならなくなったと言って、電話が切れた。残された私の中で、今日のセッションの内容を整理しながら、改めて思ったことがある。 彼女は、実感を持ちながらも、実感に飢えている。その飢えが、彼女の心と体を駆動する。 被災地で奔走する方々と、共に生き、共に未来づくりを果たそうとしている。そのためのアクションを、「今も」し続けている。彼女は「もう」20代なのだ。 ふて寝していた人の行動とは到底、思えないほどの。