June 2023

Vol.015  三人でかいた汗、ツーリストシップ研究所とは何なのか

住宅街の中にある児童遊園に入る。そこで、本来は目立つはずの、子どもたちが無邪気に汗をかきながら楽しむ遊具よりも、圧倒的に目立つものに出逢う。 禁止事項に満たされた『ボールを使うな』『バットを持ち込むな』『自転車を乗り上げるな』『ゴミは持ち帰れ』の看板たちだ。 書いていることはごもっともだが、どこか他人事のような、俺が言ったわけじゃないけど的な、責任転嫁の集合体のようにも映った。大人たちがここまで禁止事項を鼓舞して子どもたちを制限しておいて、やれゲームのし過ぎ、YouTubeの見過ぎと、部屋にこもる子どもたちを、まるで知ったような口調で批判する。これだけ看板が増えたということは、大人と子どもの間に、大きな距離があるからだろう。つまり、大人たちの腰砕けが生み出した看板たちだ。昔は怖い近所のおじさんが、やかましいガキ大将を叱咤し追いかけ回したものだ。今はそんな大人たちはひっそりと鳴りを潜め、静かに役所にクレームをして、黙って看板を掲げる。自らの手を汚さず、全て丸くきれいに収めていくしたたかな大人たちに嫌気がさし、コスパだタイパだと騒ぎ立てる子どもたちのやるせない想いの方がむしろ私は理解できる。子どもたちの真価本領でもあった、純で、不器用で、無邪気な汗は、もはや児童遊園には、ない。だから子どもたちは、部屋に籠る。大人たちを、バカにする。ずらりと並ぶ看板たちをみて、思った。 先日、田中代表と井本ナレーターと小生の3人で、ツーリストシップ研究所をどうしていこうかと議論をした。誰に向けて、何について、どう広めようと話した瞬間、はたと違和感があった。 俺たちはそもそも、《広めようとしていたのか》ということだ。色んな展開を水平に伸ばすことは、この社団法人の根幹であることは言うに及ばずだ。もっと言えば、ここまでの水平展開は見ていても心躍る。いいぞ、もっと広げよう、もっと触れ合おう。このビジョンに間違いはない。 しかし研究所の役割は、その水平展開と決してイコールではなかった。いわば探究であり、試行錯誤であり、横ではなく縦に、垂直に伸ばし深めていくことであったはずだ。ただの善し悪しや効果の有無を推し量るものではなく、様々な論点や疑問、驚愕の見方や変わった視点も全て包含できる懐の深さを持ち合わせること。ツーリストシップ研究所とは何かという実直な問いでさえも、簡単に答えを引き出せないほどの気の遠くなる深さ、その垂直にそびえるポールに私たちの縁(よすが)があったのではないか、という気づきだった。 児童遊園に掲げられた看板たち。遊具以上に幅を利かせたあの水平展開は、どれも正しく、立派な意思だ。しかしそこに、汗は感じられない。オートメーションのような、無機質な言葉達だ。手を汚さない高みの見物は、ツーリストシップ研究所では許容したくない。いみじくも田中代表は、その議論の中で《汗》という言葉を何度も使った。汗が大事だ、汗を感じたいんだと。子どもたちの無邪気なハートは、その汗に集約されている。たくさんの出逢い、体験が、その汗を生み、やがて立派な大人になっていく。立派とは、己に垂直に立てたそのポールで生きていくということだ。安易で他人事な看板に、そんなマインドは皆無だ。 ツーリストシップ研究所は、これからも堂々と、その垂直を生き、何度もさ迷うことだろう。そのプロセスに、私は大きな希望を感じる。ぶさいくで、不器用で、馬鹿みたいに騒ぐ大人たちが、本当の意味で子どもたちを先導していく。看板なんてはぎ取ってしまえ。俺と会って話をしようじゃないか。一緒に、汗をかこうじゃないか。 そんな未来を、創りたい。

Vol.014  ツーリストシップ版 田中千恵子用語集①

天然素材という言葉は、今のご時世特に稀有な存在なのだろうと思うことがある。 より簡潔に、わかりやすく、そして一気に良さが伝わる戦術として、例えば動画配信であればほんの数秒のインパクトを集約することで、やがて「バズる」ことがある。つまり、わかりやすく伝わるということは、手が加えられているということだ。 素材そのものを、時間をかけて味わう、また何も手を加えぬままの、原石のままに触れる事さえ、今は難しくなった。 確かに、相手に伝わりやすいということは尊い。説明書きがある、要約してくれている、手順を示してくれている。どれも分かりやすさを生み出す価値である。 だがどうだろう。出てきた言葉をあえてそのままに、あるがままに表現してみた場合、その言葉達にどんな翼が生えるだろうという想像を、してみたくなったのだ。 先日の夜中に書き起こした、田中代表から飛び出した言葉達の、あるがままの天然素材に、今日はご招待したいと思う。その言葉達にどんな翼が生えるのだろうと、頬を緩めながら。 【ぎっくり背中もどき】 しゃっくりが止まらなくなり、背中がつったような感覚を覚え、これはぎっくり腰《のような痛め方》に違いないと確信しつつも、《いやでも動くし、痛いけど、ぎっくりではないかもしれない》と思ったか、《そもそも背中にぎっくりってあるのか》という自身への疑念が、最後の「もどき」を生み出している。今回のセッションは、この言葉から始まっている。 【墨田区観光協会】 すみだ観光プロモーションカー「すみーくる」など、観光に対する真摯で誠実な姿勢を感じさせる一般社団法人。田中代表が先日この墨田区観光協会様とブースを出展し大好評。是非フランチャイズ化をしてはと提案され、おお、それはいいぞと算段に入ったとか。ツーリストシップが京都を飛び越え、関東にも触手を伸ばしている証左のエピソード。 【シビックプライド】 愛をプライドに変えていく。田中代表のこの名言と共に表出した言葉。シビックは市民、プライドは誇り。いわばその土地に住まう方々が、この街に抱く意識的なもの、またはプライドそのもののこと。郷土愛にも近い言葉だが、より「相手に示す」「鼓舞する」ような意味合いを含んでいる。つまりPR的要素が高い。「そうか、例えばボディビルダーが舞台上で、こうやってポーズしたりすることかな」と振ったら「ああ、まあそうですね」と軽く流された。 【フランチャイズ】 墨田区観光協会様から飛び出したフランチャイズ。もはやここで示すまでもないくらい、コンビニやスクール系の定番のビジネスモデル。この「ビジネスモデル」をツーリストシップが手掛けるかもしれないと、考えただけで私は少し胸が躍った。広がる速度が違う、波及効果のインパクトが違う、その点で効果的だという見方と、本来のマインドが薄れかねないという懸念も併せ持つ。今後の成り行きに注目だ。 【堂々と話せるようになった】 田中代表が最近得た自信にまつわるエピソード。いつも下手に出ていたが、ある時やっぱり偉そうにマウント取られそうだったので、さすがにそれはないだろうと「強め」に言ったら、相手は案外「そうですか、じゃあ」と引っ込めてくれた。なあんだ、言えばわかるんじゃないか、と思って、そこから「堂々と話せるようになった」という言葉が生まれた。私に言わせればあなたは昔から「堂々と話していた」と思いますが何か。 【流行語大賞】 ツーリストシップを流行語大賞に!その想いが少しずつ具体的な歩みに変わってきているという。しかし、単純に流行らせればいい、バズらせればいいという話ではなかった。綿密な計算、バックキャスティングからの計画が重要であり、その設計を今考えている、またはブレーンに考えてもらっているということだ。年末のあの舞台に、田中代表が立つ日が来るかもしれない! 【現場感は自信になる】 現場に立つことで分かるもの、五感に届く実感に勝るものはない。そこに漂う空気感、人と人とが直接対峙するときの感覚、匂い、音も、その全ては現場に立たなければ分からない。田中代表が続けている出店ブースもまた、その大事な現場の一つである。自信とは、現場に立脚したからこそ得られるものであり、そこに立った私が、ここにいる。もうそれだけで十分なのかもしれない。 【まだまだペエペエなので】 ひたすら頭を低くしたところで仕方がない…とはいえ、田中代表の「まだまだです」は口癖だ。大きな理念があるからこそ、神は細部に宿る。更に加えられているペエペエという発音は、ちょっと残念そうな感じで「ペーペー」ではなく、やや語尾を上げて「ぺえぺえ」となるのがポイント。ちなみに「ぺいぺい」とするとキャッシュレスになってしまうから要注意。 【その中に入っていくこと】 現場感は自信になる、という格言から、もう少し先に進んだ言葉。中に入ることの大切さを田中代表が語っていた。制度が障壁なら、その制度を作るメンバーに食い込めばいい。問題点があるのなら、その問題が生み出される場に入り込めばいい。観客席に居座ることを、きっと田中代表は好まない。実際に芝生に立ち、ボールの感触を得ない限り、その試合の主人公にはなれない。一見当たり前のロジックが、こうも迫力を生んでいるのは、きっと田中代表は、それを地で生きているからだろう。 どうですか、このフレーズたち。30分くらいのお話の中で、色んな背景と共に、出てきた言葉達をできるだけ原石のまま抽出してみました。 今のご時世に抗い、言葉達のままを、ごつごつした状態で表出させてみたときの、皆さんの心の中に生えた翼は、どんなものだったでしょうか。共感?違和感?意味不明?何でもいいです、それこそが、翼の本来の姿だと思います。 それぞれの翼が、それぞれの地で羽ばたいていくことも、ツーリストシップなのかもしれないなあと、思ったのでした。