February 2023

Vol.005 マラマ・ハワイで得たツーリストシップの重み

ある日、タクシーに乗ったとき、後部座席にこんなステッカーが貼られていたことに気づいた。 「今日も笑顔で対応します」 何と素晴らしいメッセージ、そして決意の高さだと思った。恐らくタクシー会社が全車両に揃えて貼っているものとはわかっているが、こうもしっかり宣言されると並の笑顔では許されないなあと思って、頼もしくも感じ、悠々と乗っていた。 その直後である。横から飛び出してきたバイクを見て急ブレーキ、その瞬間、「チッ」という舌打ちの音が運転手の口から発せられた。何ともバツの悪い空気が室内を漂った。誇らしげだったあの大きなステッカーが、余計にむなしく、そして小さく見えた。 人は、うたい文句の凄さと現実との乖離を感じたとき、がっかりする。 そのギャップがない状態、いわば「言行一致」であればあるほど、安心感を覚える。何事もマッチすること、心のフィット感が大事である。 2月4日、第二回のツーリストシップ新年会を終えてすぐ、田中代表は実妹と二人でハワイ旅行に出かけた。単なる旅行ではない、「マラマ・ハワイ」を体感するためだ。 「マラマ」とは日本語で「思いやりの心」を意味する、ハワイ観光局が掲げているスローガンだ。まさにツーリストシップのマインドを鮮明に宣言しているその地を実際に訪れ、肌で感じたい。その想いが田中代表を突き動かした。事実、行ってみて気づいたことは多かった。 シュノーケルではウミガメにも遭遇し、一旅行者としてハワイを満喫した。出会う食事、景色、そしてウミガメ。世界有数の観光地であることも、また日本人に最も愛される海外の観光地の一つであることも、納得がいく。どれも魅力で満ちていた。しかし意外にも、ハワイで得た大きな価値は、準備された観光スポットに限らなかった。 やはり、「ひと」だったのである。 2人でビーチバレーをしていた。姉妹水入らずの時間は心地いいものだった。しかし、もっと楽しみたい、そして、出会いたい。心が動き、声をかけた。一緒にビーチバレーしませんか。快く加わってくれた。よし、一緒にやろうじゃないかと。 ハワイに用意された観光名所はパンフレットを見れば明らかだ。準備された感動は、それはそれで旅行者の胸を躍らせる。しかし、実際にその場に立ち、そこで起こるイベントは、ほぼ予期できたものではない。偶然出会った観光客と、ビーチバレーができるなんて、もちろんパンフレットには書かれていない。 結果その戦いは白熱、3セット全て田中姉妹の勝利。まさに手加減無し、真正面からアタックを続け、相手を揺さぶった。 そのやり取りを聞いて、私が思ったことがある。マラマに込められた「思いやりの心」とは、そこに用意されたものというよりも、その場で出会い、触れ合った時に起こるものだということだ。 あの日私がタクシーの後部座席で見たものは、確かに宣言され、約束された誇り高きメッセージだった。しかしその約束は、そのたった一瞬の舌打ちでもろくも崩れ去った。これくらい、言葉というものは威力があり、またもろくはかないものなのだ。 きっと田中代表は、だからこそ、マラマという言葉の重みを感じたことだろう。そしてまた、ツーリストシップがもつ可能性とリスクもまた、彼女の両肩に圧し掛かったことだろう。ハワイで得たのは、その重みと可能性だったのではと、聞きながら感じた。 だからこそ、ツーリストシップが今推し進めているブースの出店が意味を持つ。現地で出会う一人ひとりと語り、膝を突き合わすことの価値は、ハワイで得たビーチバレーがそれを物語っていたからだ。 「思いやりの心」を表現できる場は、あのタクシーの後部座席にはなかった。あったのは、ハワイに立った実際の体験であり、ビーチボールを本気で打ち付けたその、たくましい右腕と、ジンとする掌だったに違いない。 体験というものの大切さ、言葉の重みというものの大切さを、ハワイで得た3泊5日だった。

Vol.004 キムチチゲ鍋がどうしてこうも、美味しく感じられたか

肉、野菜、魚介類を鍋に放り込み、グツグツと煮込む。そこに辛口の白菜キムチを入れれば、キムチチゲ鍋の完成だ。 4日間の嵐山での出店を終えた田中代表は、その後に食べたコンビニのキムチチゲ鍋の味が忘れられないそうだ。特筆して秀逸だと感じたのは、その価格の安さ。こんな素晴らしいクオリティを、この価格で味わえるのか。田中代表の記憶に、キムチチゲ鍋が深く刻まれた瞬間だった。 鼻息荒い田中代表の、そのチゲ鍋で得た幸福感は、確かにコスパもあるだろう。しかし4日間の寒空で、観光客と向き合い、共に汗を流したからこその、いわば山頂で食べるおにぎりが美味しく感じられる、あの感覚に似ている気がする。その感動は、実はその味ではない。乗り越えた体験であり、触れ合った人の温かさだ。 4日間の嵐山で、こんなことがあった。 ツーリストシップの男性スタッフの指が、寒さと乾燥でぱっくりと割れて「血だらけになった(田中代表)」。それでも笑顔を絶やさず、ただ真っすぐに触れ合うスタッフの、その姿勢が人を動かした。 痛む指には目もくれず、観光客に寄り添う彼に、ある外国人観光客がそっと、絆創膏を手渡した。しかも一度その場を去ってから、わざわざ戻ってきて、絆創膏を手渡して帰っていった。  どこかの薬局で買ってくれたのだろうか。それとも、どうしても気になって、葛藤の末に思わず戻ってきてくれたのだろうか。理由はともかく、その葛藤さえも、人間味があり、愛があり、何とも言えない温かい気持ちが心を包む。 便利な世の中になり、何でも自分の狙ったものが、狙った通りの結果になるものだと、どこか私たちは当たり前のように決め込んでいる。しかし本当にそうだろうか。何が面白くて、何がきっかけで、果たしてどうなっていくかなどを、正確なロジックで答えた歴史はそう多くはない。4日間の嵐山での出店、そこで出逢った観光客の皆さんとの触れ合いは、すべてが予想外であったはずだ。田中代表が、キムチチゲ鍋の味が忘れられない理由もそこにある。そこで得た偶然のプロセスが、普通のキムチチゲ鍋を「今ここでしか味わえない」至極のご馳走に変えたのだ。 ちなみにCOOKPADさんによると、キムチチゲ鍋を濃厚にしたい場合は、納豆を入れると驚くほどコクがでるそうだ。キムチと納豆の融合、今でこそ普通の話だが、当初は誰もが耳を疑うほどの異色の組み合わせだったことだろう。現在の常識は、過去の非常識の積み重ねから生まれている。そういうことを、田中代表は、キムチチゲ鍋から学び取ったと書いたら、それはさすがに、言い過ぎだろうか。