202508 by Tanaka 第四回ツーリストシップサミットを終えて

こんにちは。一般社団法人ツーリストシップのタナカです。 今回から始まる活動コラムは、当法人メンバーが交代で「そのときの素直な気持ち」を語る場にします。 舞台裏は普段なかなか見えませんが、そこにはリアルな葛藤や喜びがあります。 誰かの活動や挑戦の励みになれば嬉しいです。 では、トップバッターとして、私、タナカが第四回ツーリストシップサミットの舞台裏をお届けします。 第四回ツーリストシップサミットを終えて 皆さんは、本番直前で方針変更をしたことはありますか? やると決めたものがあるのに、ギリギリで新しい挑戦に踏み切る…今日はそんなお話です。 2025年も、8月6日に、ツーリストシップサミットを開催しました。 詳細はこちら→https://touristship.jp/summit04fin/ これまでのサミットとの大きな違いは、今年はメンバーの一人にサミット統括をお願いしたということです。 思えば、メンバー、つまり社員を初めて雇ったのが昨年の9月ですから、社員ありのサミットは今年が初!! みんなすごく頼りがいのあるメンバーで、マニュアル作りや当日の動きなどを考えてくれました。 それで、サミット1週間前にはタスクはほとんどなく、少し時間に余裕ができたのです。 そこで当日の講演の原稿をゆっくり考えることができました。 第三回では私個人の講演の時間はあまりなかったのですが、第二回と第一回はしっかり時間をいただき講演をしました。 (第二回については動画をユーチューブにあげています。➡https://youtu.be/9rCe4VCggKE) 考えました。 二年経ってるので、第二回より「成長したよ」と言わしめたい。 考えました。 第二回は真剣まじめでしたので、今回は笑いあり楽しい余裕のある講演にしよう!!! そこから一気に原稿を書き上げた後、ChatGPTに送って「笑えるかい?」と相談したり、 笑いをいれられるスキを探り、何度も書き直しました。 よし、これを読めば、かんぺきだと思い、前々日を迎えます。 前々日にはじめて夫の前で、お披露目しました。 すると夫が 「スライドないの?20分聞くだけは集中力がもたない・・・」 とのこと。 たしかに!!! そこで、急遽、スライドを作ることにしました。 そしてメンバーにも、スライドを追加したいと伝え、舞台構成を変更してもらいました。 そして、前日。 スクリプトもあって、スライドもあって、かんぺきだなあ、もうやることがないなあ、、、 と暇になったので、ユーチューブでテキトーに3,4人分の講演を見ることにしました。 前日なのでだいぶ遅いのですが何かヒントがあるかも、、と。 そこで、気づきました。 「あれ、原稿読んでる人って、良いこと言ってるんだけど棒読み感がある」と。 いろんな有名な人の講演を聞いたのですが、 複数人の講演を聞いていくと、なんだか不安になってきました。 私は、女優ではありません。 むしろ、学祭で演技が下手すぎて超脇役に配置された悲しい思い出があるほど、演技に自信がありません。 やばい、これでは20分、せっかく考えたスクリプトでも、棒読みすぎて、人を寝かせてしまう・・・ 気づいたのは、前日の夜20時は下回ってたと思います。 ああ、どうしよう。 わたしは、今から原稿を暗記できるのか。 しかも、好き勝手話していいのであればまだ楽ですが、 しっかり作り込んだスライドに合わせて話さないといけない。 しかし、悲しきかな、私はここで決断し、練習できるような真面目で勇ましい人間ではないのです。 なにせ前夜。今ここで決断する勇気は持ち合わせていないのです。 だらだらと寝る準備をし、モヤモヤのまま、ベットに入りました。 ちなみに私はいつも、サミット前日はほぼ寝れません。 楽しみなことがあると、寝れないタイプなのです。 なので、ベットに入りながら 「どうだろうなあ、明日勇気出して、原稿見ずに話せるかなああ」 ここでも決断ができず、ぼーっと考えていました。 […]

Vol.47 【最終回】終わりは始まりを告げる

(ライター:弓指利武、音声:井本ゆうこ) 何でもそうだけど、フィナーレってどこか照れ臭い。今までありがとうございましたと、改まって言われるあのむずがゆさが何とも言えない。率直な今の気持ちである。 活動コラムには前身があった。「ツーリストシップ研究所」である。3年前の2月に産声を上げた初回のタイトルは「冬の湖にたたずむ鶴」。今見れば何のことだと首をかしげるタイトルだ。 方々(ほうぼう)から集まった、ツーリストシップへの質問や提言、お叱りのメッセージに対して、まるでラジオのMCのように答えていく形式だった。その後、今の活動コラムに形を変え、田中代表をはじめツーリストシップメンバーとの対話からキーワードを抽出し、言葉に替えていった。そしてその言葉たちは、井本ナレーターの声によって見事に命が吹き込まれていった。 ちょっと余談だが、当時の作風の散らかりようがもの凄い。公園の看板から覆面レスラーに至るまで、出てくる話題に統一感がまるでない。よくぞまあ、この暴れん坊な文章たちを田中代表はOKしてくれたものだと、いささか、こっ恥ずかしい。 あれから3年と4か月。延べ70作ほど書き連ねてきたが、遂にこれが最終回となる。今こうして色々なことを思い出し、良いものを書こうとすればするほど、心の中で妙な邪念が顔を出しては引っ込んで、筆が思うように進まない。 先月の打ち合わせ、次回を最後にしたいと言われたときは、ツーリストシップメンバーが勢揃いしていた。井本ナレーターも同席しての、久々の顔ぶれだった。皆さんから、感謝の言葉をたくさん頂いた。どれだけお役に立てたか分からないが、小生の拙い文体を、あんなに褒めていただいては、この最終回をどう描こうか、どう残そうかと迷うのも無理はない。 照れ臭い理由とは、まあ、そういうわけである。 いよいよ書かねばと重い腰を起こそうとしたとき、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄氏の逝去を聴くことになる。「我が巨人軍は永久に不滅です」は、もはや昭和の一大事に数えられる。6月3日、日本列島が喪に伏した。一つの終わりが、新しい何かを呼び寄せる。スーパースター長嶋氏の現役引退のあと、時を経て野球の風景は大きく変わっていった。メジャーに通用する日本人選手が生まれたり、通用するどころか世界を代表するメジャーリーガーが日本人から生まれたり。当時では想像のつかない展開が現実のものとなっている。世代を跨ぐとはそれほどにダイナミックなことなのだ。 活動コラムがツーリストシップに果たした役割は何だったのか。それを私自身が語ることは許されない。ツーリストシップを拡げ続けるスタッフの皆様と、何よりお取引のある企業様、個人で応援頂いている皆様がこれをどうご覧になり、お読みになるかが全てである。最終回を迎えるに辺り、私はある意味で、活動コラムの本文が表れた気がしていた。 終わりは突然やってくる。その訪れは、いつぞやの分岐点になる。活動コラムを終えることで、ツーリストシップはまた次の段階に突入する。野球界に起こったダイナミックな展開は、ツーリストシップにとっても例外ではない。終わりは始まりを告げる。活動コラムの最大の功績は、今こうして無事に終わることができたというこの一点に尽きる。次のフェーズにバトンを託し、次の場所に旅路を移し、世代を跨ぐことの意義を想うのである。冬の湖にたたずむ鶴は、厳しい冬を避けて日本に上陸し、また海を越えて旅立っていく、渡り鳥なのである。 「長い間皆様、本当にありがとうございました」 1974年10月14日、後楽園球場のど真ん中で、スポットライトを浴びた長嶋氏の名演説は、この言葉で締めくくられた。きっとカッコいいフィナーレとはこういうのを言うのだろう。いやそんなこと言われても。照れ臭いやないか。心がざわつく。むずがゆいのである。 だから最終回、さよならは言いません。活動コラムが無事に終わる事への感謝と希望を胸に、ここらで、ひとまず。 「我がツーリストシップは永久に不滅です」 なんてね。 ———————————————皆様、改めましてこんにちは。活動コラム更新担当のハルタです。活動コラムは今回にて最終回となりました・・!これまで読んで聞いてくださった皆様に大変感謝申し上げます。ツーリストシップの活動やメンバーの想いが詰まっているこれまでのコラムはそのまま残しておきます。 「我がツーリストシップは永久に不滅です」 この言葉を実現するためにも、ツーリストシップのさらなる普及を進めて参ります。

Vol.46 初の新卒・上里の、約束された“大騒ぎ”

(ライター:弓指利武、音声:井本ゆうこ) 上里は芸大出身、ツーリストシップの新卒採用第一号である。落ち着いた口調の中に緩急を織り交ぜ、柔軟にして強固な夢を抱く。彼女とツーリストシップとを繋いだ偶然の赤い糸は、既に約束されていたと言われても否定のしようがないほどに、固く、結ばれていた。キセキという言葉が陳腐に見える。確かにGReeeeNは『キセキ』の中で、 僕らの出逢いがもし偶然ならば? 運命ならば?君に巡り合えた それって『奇跡』 と謳ったかもしれないが、上里のキセキはどうも一味違うのである。 大学生の頃、先生に「素敵な人がいる!」と強く勧められ田中代表が講演する会に参加した。これまでもずっとそうだった。理由はなくても直感で「これだ」と思った出会いを羅針盤に生きてきた。その直感力が上里を育て、まるで既に用意されていたかのようなキセキを積み重ねていった。この日の出会いも、約束されたキセキだった。 「私と年の近い人がこんな精力的な活動をしているということに驚きました。田中代表のキラキラした目に一瞬でやられました。共感と憧れが心の中で交差して、もう“大騒ぎ”でしたよ(笑)。」 心が弾み、居ても立っても居られない心境を“大騒ぎ”と表現するあたりに、柔軟な発想力を垣間見せる。 “大騒ぎ”は大変だけど、きっとそれはワクワクに近い。当時のことを振り返る上里の声色が少しだけ紅潮した。もはやこの出会いは、恋とさえ思えた。 京都生まれの京都育ち。行き交う観光客と共に生きてきた。ツーリストシップを引き寄せたのは、この環境下にあったことも原因の一つかもしれない。観光デザイン領域を学び、観光に横たわる課題の緊迫感を肌で感じ取っていた。彼女が観光を通じで見えた課題の緊迫感は、オーバーツーリズムの“向こう側”にあった。 最近の世の中、どうも規制、規制とうるさくないですか? ルールがあることで、みんなの心地よい世界を生み出せていることは理解している。しかし、何でも「ルールだからダメ」というのはちょっと短絡的な気がする。事の本質に気づけないではないか。なぜそれがダメなのか、誰にとってそれは良くないのか、背景から捉えることがあっての規制であるべきではなかったか。上里が抱える緊迫感は、むしろここにあった。簡単に禁止を言い過ぎている。「規制のない世界をつくりたい」この願いの一里塚が、上里流ツーリストシップなのである。 その着想はどこで生まれたのか。“大騒ぎ”な上里は意外にも子供の頃は人付き合いが苦手で、話すことも億劫だった。それを変えたのが高校生の頃、とある美術のセッションで司会進行を仰せつかった時だった。一つの絵をみんなで鑑賞する。この絵はどう見えるか、何が背景にあるかを参加者で言い合う。人付き合いの苦手な司会者は必死に、参加者にマイクを向ける。「かなしい」「うれしい」「色がある」「色がない」と感想はバラバラ、まるで同じ絵を見ていると思えなかった。しかしその混乱は上里を逆に勇気づけた。違うことはそもそも面白い事なんじゃないかと腑に落ちた。そこから、人の考えていることを知りたいと興味が人に向いた。可能性の拡張というキセキもまた、こうして約束されていた。 出会いを大切にする上里の生き様を象徴するような写真を最後に送ってくれた。何気にぶらぶらと散歩することが趣味で、そこで出逢う不思議でかわいい景色を写真に収める。送ってくれた写真は、消火栓の上に添えられた麦わら帽子だった。誰が何のためにここに置いたのか、いや、被せたのか。「きっと消火栓が暑そうだったからじゃないですか」そう言って笑う上里の声色は、やっぱり紅潮していた。GReeeeNの『キセキ』には、こんな歌詞がある。 日々の中で 小さな幸せ 見つけ重ねゆっくり歩いた『軌跡』 “大騒ぎ”は、何も大きなことだけではない。どこにでもありそうなあぜ道で、出会った小さな麦わら帽子にもドラマがあり、冒険がある。上里流ツーリストシップは、始まってまだ数週間というのに、この“大騒ぎ”なのである。固く結ばれた、ツーリストシップのキセキ(軌跡)が、幕を開けた。

vol.45 それでも会いたい人がいる。

(ライター:弓指利武、音声:井本ゆうこ) ヴァネッサ・カールトンが2002年にリリースした楽曲、『A Thousand Miles』を聴きながら帰路につく。 最終電車に揺られ、先ほどまで友人と語り合っていた激論を思い返していた。私たちはなぜあんなにも、熱く語り合おうとするのだろう。 軽快なピアノのイントロが心地いい『A Thousand Miles』とは、遠くにいる大切な人に会うためなら、Thousand Miles先でも厭わないという意味だ。 1000マイルは約1600キロ。例えば青森県から山口県に至る、本州をすっぽり覆う距離だ。 大切な人のためであれば1000マイルくらいなんてことない。人は結局のところ、人から感動をもらい、人から幸福を感じ、人によって支えられている。しかし時に、人によって悩まされ、人から病(やまい)をもらい、人から人生の苦しみを味わう。 いかん。激論の余波がまだ残っている。頭を冷やすとする。 今日もよろしくお願いしますと、早朝からあの高らかで明るい声が耳に入る。ツーリストシップ・マネジャー、春田菜々美氏の第一声は、その透明感が印象的だ。『A Thousand Miles』のイントロさえ凌ぐだろう。 彼女の、ツーリストシップに入ってからの活動量が物凄いことになっている。 「何でもさせていただけることに感謝しかない」と息巻く春田氏の上ずった声が、その充実度を物語っていた。 人材難にあえぐ観光業界を盛り上げようと、就活イベントまで企画した。関西と関東で1回ずつ開催する。見れば名だたる企業が顔をそろえる。 「こういう恩返しも、あっていいのではと思ったんです」 この勢いである。イイと思ったらやる。この軽快なリズム感がツーリストシップである。 2030年のビジョンも、社内で何度も議論した。そのころの私は一体、何をしているだろうと。もっと海外に目を向けて、新しい価値を生み出していきたい。就活イベントも定期開催をにらみ、「人との出会い」という旅を提供していきたい。旅の概念が次々と展開されていく躍動感がそこにはあった。 旅は何も、遺跡や観光名所を巡る事だけではない。そして何も、出向くことだけが旅ではない。出会いを創り出すことも大きな旅だ。 たとえ遠くにあったとしても、架かる距離なんて吹き飛ぶくらいの、あなたに会いたいを実現していくこと。 就活という出会いを創る春田氏の想いには、ツーリストシップの概念を更に深化させた、壮大なミッションが込められている。 『A Thousand Miles』の歌詞には、こうある。 Cause you know I’d walk a thousand milesIf I could just see you (1000マイルでも会いに行くさ)(無論、あなたに会えるならね) 春田菜々美に会いに、これからもたくさんの人がやってくるだろう。 イベントに集う企業、そこに来る学生そして、ツーリストシップを想う旅人たち。 …人は面倒でも触れ合い、議論し、熱くなる。きっとそれは、それでも会いたい人がそこにいるからなのだろうと、想う。 春田菜々美と会うには、1000マイルでは“短すぎる”のだ。 やがて駅に到着し、冷たい夜空を見上げてみる。まだ火照った頭を揺らしながら、そして春田菜々美の未来をふと想像しながら、『A Thousand Miles』を、聴いている。

vol.44 旅は「する」だけでなく「出迎える」ことも含まれる

今は農家として米を作っているが、昔は鉄を曲げて航空関係の仕事についていたというオモシロイ経歴の友人がいる。日頃親しくさせていただいているが、改めてこういう話を聞くと、時間を忘れてつい話し込んでしまう。 その中で印象深い言葉に出会った。 「モノづくりをするうえで大事なのは、エラーが起こった時に『人のせいにしない』ということ。仕組みに原因を求めないといけない、これ鉄則ね。」 そして米作りに従事するようになって、こうも言っていた。 「米作ってると、神頼みする人の気持ちが良くわかる。最初は意味あるのかって思ってた。自然を前にして、人の思い通りにはいかないことに気づかされるから。常に予期せぬものに向き合い続け、改善を求められ続ける。」 それを聞きながら、先日伺った桜井康広氏の言葉を同時に反芻(はんすう)していた。そうか、そういうことかと合点がいった。 喉を傷めながら懸命にインタビューを引き受けてくださってから早数か月。再度桜井さんとお話しする機会を頂いた。桜井さんはいつも、言葉一つひとつを丁寧に選び取っていく。リモートで伺っているのに、その真摯な姿がこちらにまで伝わってくる。展望も、課題も、すべて自分事として受け取っておられる責任感が言葉に宿っている。 関西国際空港で旅先クイズ会を実施した。3月の大阪万博をにらんでのこともあるだろうが、何より空港でやる意義を桜井さんは語っていた。「手ぶら観光」というサービスがある。ホテルまで荷物を運ぶことで、旅行中の荷物を減らし、混雑を緩和する試みである。ツーリストシップの啓蒙は、単なるマインドセットだけではなく、本質的な仕組みにも手を伸ばす。なるほど確かに、キャリーバッグに行く手を阻まれ、何度も迂回したことを思い出した。 地元住民へのツーリストシップの啓蒙は、その地域に定められたルールを周知していくこととも関連する。なぜこの場所で写真撮影をしてはいけないのか。なぜこの時間帯は自転車走行を禁止しているのか。なぜここでは、食べ歩きを禁止しているのか。その全てに理由があり、意図がある。しかし案外旅行客は知らない。ルールの存在と、その意味を正確に伝えることで、ツーリストシップを体現し、オーバーツーリズムの解消を根本から狙っている。こういうことも、旅先クイズ会を通じて理解を広げている。草の根活動はインパクトに乏しいかもしれないが、そうやって一人ひとりとの出会いの中で、互いの体温を感じ取りながら伝え伝わるプロセスは本物である。 ツーリストシップの広がりは、こうした確かな仕組みによって広がりを見せていく。狙う結果に対して効果的な仕組みを座組していく。そのことがとてもよく伝わるお話だった。 話を聞いていて感じたことがある。もしかしたら旅とは、「する」だけでなく、「迎える」ということも含まれるのではないかとさえ思えてきた。ルールを作り、観光客と向き合う地元の方々もまた旅人なのだ。自然と向き合う農家の方も、その自然の摂理を引き受けることで大地の恵みを生み出していく。桜井さんは、旅先クイズ会を旅しながら、観光客を迎えるという旅もまた同時に引き受けている。人生そのものが旅、ツーリストシップの申し子なのだ。 そのことを、奇をてらうでもなく、訥々(とつとつ)と語るところが心憎い。だからみんな、桜井さんのことを慕うのだろう。米作りも、モノづくりも、そしてツーリストシップも、いわば仕組みによって体現される旅そのものである。桜井さんはその大きな流れのど真ん中にいる。

Vol.43 ツーリストシップを「一から作る」

『カレーライスを一から作る(ポプラ社)』という書籍が好評らしい。武蔵野美術大学のゼミを追った映画『カレーライスを一から作る』を書籍化したものだ。 好評というのは「よく売れているから」というだけでなく、本書にあげられている試み、企画力が好評だという風に解釈している。「よく売れている」という書籍には当然、よく売れるための仕掛けがセットである。仕掛けが勝てば売れる。だから中身は駄作だということを言いたいわけではなく、しかし何もミリオンセラーだけが良書というわけではないだろう。勝手な私の分析では、読み進めていく中でふと、これはどういうことだろうと、思わず天を仰ぎ、空想にふけって読書が進まない現象を引き起こせる書籍は、良書であると踏んでいる。むろん、私にとっての、である。 『カレー』は、タイトル通り、本気で9か月かけカレーを一から作った挑戦の軌跡である。米から、野菜から、鶏から、塩から、カレー粉から、そして器に至るまで全てにおいて手作りである。 悪戦苦闘の数奇な体験を経てようやくできあがった1杯のカレー。育ててきた鶏との別れ、うまくいかない塩づくりの奮闘などを経て、肝心のお味の方は「まずかった」らしい。苦労は勝手でもしろとはいうが、おいしいカレーなんぞ目をつぶっても勝手に手に入る世の中なのに、である。しかしこのオチが、私にとっては救いであった。まずかったという価値を、幾多の難関なプロセスが輝かせているのである。 久しぶりの田中代表とのセッションでは、久しぶりだけにエピソードは事欠かなかった。まずは最近風邪で部屋にこもっていたという話から始まる。でも、部屋で寝込んでいてもメンバーが運営を回してくれているから大丈夫なんですと、心強い仲間の活躍に眉を細める。 最近は、アイデアに飢えていた。フリーライダーやピグー税という聞きなれない言葉が飛び出す。どれもツーリストシップを拡散していく突破口になるに違いない。ただ風邪で寝込んでいたわけではなく、この間も思考をフル回転させていたわけである。まさに「天を仰ぎ空想にふける」というやつである。 観光庁の資料に、ツーリストシップが掲載された。いよいよツーリストシップが、国を巻き込んだ瞬間である。もっと大きく取り上げてもらわねばと士気を高める田中代表だが、この一歩は未来のツーリストシップにとって大きい。 気が早いけど今年一年はどうでしたかと尋ねたら、「挑戦の一年でしたね」と笑みを浮かべた。東京の生活にも慣れ、新メンバーにも支えられ、メディアの露出も、観光庁の掲載も、失敗を繰り返しながら歩みを停めなかった、ツーリストシップの挑戦の軌跡。まさにそう、米から、野菜から、鶏から、塩から、カレー粉から、そして器に至るまでの『カレー』のごとく、後ろを振り返ることなく突き進んだ一年だった。 いや、ちょっと待て。『カレー』のオチが「まずかった」が救いであるという文脈に従えば、ツーリストシップもまた「まずかった」がふさわしいオチなのか。そんなお叱りを田中代表からもらいそうである。 そうじゃない。結果はそれこそ、何でもいい。まずくても、おいしくても、そこに向かった挑戦の軌跡こそが『カレー』の醍醐味であり、生きる喜びなのだろうと思うのである。恐れるのは結果ではなく、その途上の歩みに怠惰はなかったかという問いだけである。良い結果を生み出すためにも、結果に恐れる必要はない。求め続けるプロセスを輝かせることが、ツーリストシップの未来である。 最後に来年の目標を聞いた。ツーリストシップという言葉が、知らないところで自然と飛び交う状態にすることが目当てだという。みんながどうしたら、ツーリストシップを言いたくなるのだろう。天を仰ぎ、空想にふける田中代表は、来年も挑戦の手綱(たづな)を緩めることはない。おいしいカレーはスーパーで簡単に買える。でも挑戦によって得た涙のカレーは何物にも代えがたい。ツーリストシップもまた、カレーに負けじと「一から作る」。そういう意味で、「おいしい」のだ。 2024年最後の活動コラムもありがとうございました!2025年もよろしくお願いいたします。

Vol.42 ツーリストシップの名参謀・桜井康広がいなければ。

桜井さん、体調はいかがですか。私はどうしても、桜井さんに謝りたいことがあります。そう、取材を依頼した日、桜井さんは喉を傷めてガラガラ声でした。別日にした方がいいでしょうかと事前に連絡を頂いた時、あろうことか私は「それでも会いたい」と強引にセットしてしまいました。当日、優れない体を引きずって約束していたファミレスにお越しいただき、痛む喉を脇に置いて、何一つ嫌な顔をなさらず、献身的にお話をして頂きました。  ツーリストシップで世界を変える。 こんな大それた話を真面目に語る田中代表に、新しい扉の開く音がした。この人は一体、何を言っているんだろうと思う間もなく、こんな不確実なことに懸命に向き合う、うちの娘と同年代の若者がいるということにただただ驚いた。田中代表を通じて、世界の広がり、展開のイメージが沸き立った。できるかどうかはどうでもいい。そうやって目指している人が不思議で楽しくてたまらないということが大事だった。気が付いたら、いつもそばで支える存在になっていた。  55歳を目前にして、自分のキャリアを考えた。中小企業診断士を目指して勉強も始めた。しかし、購入した本は自宅に順調に積読されていった。若い世代からの刺激がこんなにも面白く、未来を感じさせるものとは思ってもみなかった。いわば勉強をしている暇はなかった。コロナ禍で旅行者と会えなくなった時には、各国の大使館に感謝を伝える活動をした。ずっと組織に勤めてきて、事を動かす難しさ、幾重にも渡る段取りの数に何度ため息が出たか分からない。しかしツーリストシップではまるで全てがベンチャーだった。大使館に足を運ぶ機動力に舌を巻いた。考える間もなく次に着手する。できるかできないかよりも、やりたいこと、やるべきことを優先するものだから自然と加速する。駆動の馬力もまるで違う。斬新だった。もう魅力いっぱいだった。  どうしてこんなに献身的に田中代表を支えるのですかと、原動力を聞いても、むしろ私の方が田中代表に支えられていますからと譲らない。桜井さんがいなければ、間違いなくツーリストシップはここまでの成長は遂げていない。そんな功労者から生まれた言葉は「立ち上げ当初にお世話になった方々に何か恩返しがしたい」だった。どこまで人を支えるんですかと、私は何度も突っ込みたくなった。  桜井さんにはちょっとした野望がある。もっとシニア層の方々に普及できないか、そのことを考えない日はない。未来を担う若者には確かに普及させたい。ただ若者に比べて、時間もお金もあるシニア層の方はきっとたくさんいるはずである。自分自身が田中代表に感化されたように、同年代の方々とワクワクする未来を共有したい。その志を語る桜井さんの目は、幾分充血していた。いや、そういうことじゃなくて、それこそ桜井さん、体調悪いからでしょうに。重ね重ね、お詫びするしかございません。 桜井さん、お元気ですか。ツーリストシップに正メンバーとして加入されて、その志はこの先益々重要になってくると思います。桜井康広なきツーリストシップは考えられません。なので、お体くれぐれもお気をつけていただき、たくさんのツーリストシップの花を咲かせてください。私も、田中代表と同じく、桜井さんの献身的で真心一杯の姿勢に惚れ込んだうちの、一人です。

vol.41 【速報】彼女の名は、春田菜々美。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 1987年に発刊されたベストセラー『サラダ記念日』である。与謝野晶子このかたの天才歌人と評された俵万智氏の、日々の小さな幸せを歌う数々に、読者は自分自身にも身に覚えのある小さな日常を重ねていた。あー、わかるそれ。そうなんだよねー。言葉にならぬ言葉達がバブル期真っただ中の日本列島を駆け抜けた。 ツーリストシップも負けず劣らず現代の日本列島を駆け抜ける。そんな中で、その歴史に燦燦と輝く「記念日」が生まれた。正規メンバーとしてのニューフェイスである。普段通りの日常に咲く小さな花を愛(め)でる人であり、開口一番から花を咲かせるその佇まいは、『サラダ記念日』に描かれた小さな幸せを彷彿とさせる。初めて膝を突き合わせるのに、もう既に何度もお会いしていたかのような錯覚を抱かせる。気負いもなく、着飾ることもない。等身大であることが余計に燦燦とその存在感を輝かせていた。あー、わかるそれ。そうなんだよねー。一貫してこの調子なのである。 ツーリストシップとの出会いは大学生の頃、田中代表がゲスト登壇した授業だった。こんな若い人が堂々と物おじしないプレゼンをするなんて。衝撃的だった。たった3つ年上なだけで、こんなインパクトを残していくその背中を追いかけたくなった。やがてボランティアとして田中代表と行動を共にするようになる。いずれ一緒に働いてみたい。そう思うのに時間はかからなかった。 「この味がいいね」よろしく、彼女の息抜きは家庭料理だ。料理を作っているときは無心になれる。旅先クイズ会のこと、そして担当する自治体との交渉ごとが頭から離れない中でも、料理をすると没我の如く工程のことしか頭にない。こういう時を過ごすことで、仕事もプライベートもバランスが取れるという。しかし料理と言っても、お菓子作りは除外される。細かい軽量が面倒だからだ。「目分量の女と呼んでください」とは本人直々の言葉である。なるほど確かに、そんな豪快なところは彼女の笑い声からも窺い知れる。細かいことは気にしないのである。 彼女には夢がある。観光業界で働く人を増やすことだ。特に、衣食住を全て担うホテル・宿泊業界の待遇改善と更なる発展をビジョンに描いている。観光業のおもしろさと複雑さ、正解がないややこしさが何ともいえない魅力を運んでくる。こんな尊い世界に、私を入れなくてどうする。大学を卒業し半年間一般企業で働いたのちに、彼女は遂にツーリストシップの門を叩き、正社員となった。九月五日のことである。 田中代表には尊敬の念しかない。しかし時折「もうちょっと落ち着いたらどうだろう」と思うこともあると言ってやはり笑っていた。完ぺきではない、そしていつも駆け抜けている田中代表の、あらゆる個性が彼女の心に灯をつける。「実は慎重派なんです」と小生に告げたのは、きっと田中代表の情熱やアクティブなところ、そして時折チャーミングに抜けたりもするその全てを、私なら引き受けてみせますという決意であった。 軽快なほどに人の懐に飛び込んでいく彼女の瞬発力は、ツーリストシップの未来である。人に、地球に、社会に、課題に。あの等身大の笑顔がこれからますます、ツーリストシップを面白くする。照らし続ける。『サラダ記念日』を強引に引用するなら、こうなる。 「この旅がいいね」と君が言ったから九月五日はツーリストシップ記念日 彼女の名は、春田菜々美。 一般社団法人ツーリストシップ・地域連携マネージャーその人である。

vol.40 押しては返す波のように、ツーリストシップは発展する

もうここまで場慣れして「緊張しなくなった」田中代表が、なぜサミットで足が震えたのか。サミットを終えた電話でのセッションは、この話でも持ちきりとなった。 いや、ちょっと違う。持ちきりだったというよりも、考えが割れた。 ちなみに田中代表の足を震えさせた緊張の原因は何か。それはサミット前日に、石垣島からお越しのミュージシャンの生演奏を聴いちゃったからだ。ライブでしか感じ取れない生の音、臨場感、振る舞いが、田中代表の心を揺さぶった。心までは良かったが、翌日のサミットでその想いが増すあまり、足まで震え上がらせた。一ファンになってしまうと、どうしても我を忘れる。尊敬という想いが先行し、正常な進行を妨げる。公私混同はプロではない。その思いが田中代表をして「プロたるもの、律する心が大切」と言わしめた。そういえばWBCの決勝戦、日本対アメリカ。メジャーリーガー勢揃いのアメリカを前に、確かに大谷翔平選手は諭した。「今だけ、憧れるのはやめよう」と。だから優勝できた。田中代表の反省節が続いた。だが私の意見は少し違っていた。ファンであるがために我を忘れ、公私が入り乱れる有様は、むしろ見せたほうがいいと思っている。できあがったもの以上に、想いが溢れるリアリティの説得力は絶大だからだ。だから反省など必要ないと言った。そういえば坂口安吾は『日本文化史観』で言っていた。美というものは、美を意識した途端に生まれてこないものだと。法隆寺が焼けても一向に困らぬと書いて、当時世間にどえらい印象を与えた。でも私は法隆寺は是非これからも焼けずに存在してもらいたいと思っている。 これは一体何の話や。こんな具合である。この掛け合いを続けていて思ったことがある。サミットでも恐らく、舞台と観客席との間で、様々な対話が展開されたに違いない。今後のツーリストシップの発展が、どれだけ多くのの国際問題を解決できるか、そのビジョンを最も鮮明に描いている田中代表たればこそ、あのサミットを成立させた。このリアリティには勝てない。そしてこれからも、このリアリティと共にツーリストシップは生きる。来年のサミットも8月6日、まだ内容は決まっていない。次回のサミットまでに、それこそ幾度となく繰り返すであろう、あーでもない、こーでもないという議論。そのプロセスこそが宝である。とんがったり、丸まったり、近づいたり、離れたり。まるで押しては返す波のように、ツーリストシップはこれからも意義あるプロセスを遺していく。 ところで田中代表にとって今回のサミットは、例年になく「楽させてもらった」そうだ。サポーターも増え、ますます馬力を増したツーリストシップである。そう思えば、胸きゅんでサミットに登壇したなんて話は、むしろ微笑ましい部類に入るではないか。事実、その余白ができたことで、田中代表もこうして俯瞰できた。胸キュンもできたわけである。 って、それこそ何の話や。…てな具合の、こういうプロセスも、あっていいのである。