May 2023

Vol.013  眠れぬ夜の流れは絶えずして

日本三大随筆の一つと言われる「方丈記」。著者の鴨長明が、まさか800年という年月が経ってもなお、こうして読まれ続けている現実を推し量ろうはずはなかった。 出世街道から堕ち、京都・日野の山中にある方丈の庵(いおり)で余生を過ごしたミニマリストの先駆者は、確かに無常の世の中と、見栄や物欲に支配される中で本質的な幸福を問うたその姿勢に普遍性を見たことは想像できる。しかしまさか、800年という年月に耐えうる偉作になろうとは、これは未来のいたずらか、偶然の産物か。未来を紡ぐヒトカケラを、幾重にも折り重ねて時代は生まれ、やがて朽ちるを、繰り返す。 「あれだけ読めば日本がわかる」 巨匠・解剖学者の養老孟司氏は、方丈記をこのように評していた。まさかと思い自身も拝読したが、そこまでの奥深さを感じ取れなかったものの、駄文のない澄んだ表現は、なるほど今も尚読まれる理由の断片に触れることができた。 400字詰め原稿にして25枚程度の分量が、こうも私たちの心に「残そうと迫りくるもの」があるのだとしたら、一体それは何なのだろうと、眠れぬ夜、深い闇に覆われた間断の窓を眺める。 田中代表は先日、あるお坊様と出会う機会があった。そこで建築中の土台を見せられ、かかった費用を聞いて腰が抜けそうになった。億単位の買い物、なぜそこまでしてお金をかけるのかと聞くまでもなく、そのお坊様は、500年後をイメージした建築だからこそ、億単位を要したのだと教えてくれた。 500年後を見据えた買い物。もはや他人事のように聞こえる500年後は、そのお坊様にとっては「成し遂げたい未来」として自身のミッションに手繰り寄せていた。500年を背負う人物の視野には、数代に渡るこの先の、いるはずもない自分自身が映し出されているのかもしれない。 狙えるはずもなく800年の時を跨(また)いだ鴨長明と、意図的に500年を見据えるお坊様とに、もし共通するものがあるとすれば何だろうと、深まる夜に想像を巡らせてみる。どういう人が、どういうものが、時代を超え、長年に渡る価値を創り出していくのか。 「ネプリーグって知ってます?ブースでやってみたいんですよね」 ふと、田中代表のその言葉を思い出す。そして瞬時に、合点がいった。 バックキャスティングで物事を生み出し、動き出す志の高さ。そして無邪気に、思いのままに、「こうだ」と決めて真っすぐに取り組める純粋さ。 そうか、この純度の高さが、後世に残る理由なのかもしれない。やってみたいことがストレートに現れる田中代表にも、その純度の高さが感じられる。そういうことかと、腑に落ちた。 遺すこと《そのもの》が目的ではなく、ただ《こうでありたい》とする《意図を持ちつつ自由度のある》状態、ここに私たちは、本当の普遍的な、価値ある豊かさを見ていく時代に来たのかもしれない。そんなことに気づかされた。 …そしてもう一つ、冴え始めた目を擦りながら、気付かされたことがある。 こういうことを、眠れない夜に考えるもんじゃないと。 「あれだけ読めば観光がわかる」 間もなく世に出るツーリストシップ本を、もし養老孟司氏が読んでくれたら、こう言ってくれるんじゃないかと想像して、また眠れなくなった。

Vol.012  荒れた言葉達が、未来の沃野になる

言葉というもの、けっこうぐらぐらとしていて、単独でいることはできないのである。 不安定なのだ。何かと化合したがっているようなのだ。だから連想ゲームが成立しうるのだ。 『千夜千冊』で有名な著述家、松岡正剛氏の抜粋である。 “連想ゲーム”というテーマの中で松岡氏は、言葉というものは、周辺領域にある様々な別の言葉をつなぎ合わせ、人は様々な連想や関連付けを行う動物であると表現する。 そこには、目に見えない「ことば」という媒体を通じて、感情や想い、そして苦悩やもがきといったものを露わにする、人類の性のようなものを感じた。言葉が単独でいられず、化合を求めたがるのが本来だとしたら、きっと私たちが口にする「ことば」は、美意識や慣例と言ったものをかなぐり捨て、ただただ一途に、その生きざまを野ざらしにしながら、方々(ほうぼう)に放たれ続け、影響を与え合うのだろう。本気であればあるほどに、言葉は荒れる。荒れるからこそ、周辺の言葉達と融合する。その融合が未来を創る。その力強さこそ、「ことば」の威力なのだろう。 この日の田中代表は荒れていた。やけくそとか、怒りとか、そういうことではない。無限の可能性を前に、恐れや不満によるものではない、高ぶる想いを野ざらしにした、一種の武者震いに近い。 意見の相違が起こる。その違えた事実が様々な摩擦や、乾いた空気を生み出す。しかしながら、この違えたもの同士が、やがてまだ見ぬ未来を創り出していく。そうやって人類の叡智は、時代を追うごとに、イノベーションの程度を増していった。 「けっこうぐらぐらとして」いるその言葉達が、相手に届き、想いを巡らせ、そして周りの人たちの心を揺さぶる。ぐらぐらと揺さぶってくれる仲間がいる。過去誰にも相談できない、一人での運営を強いられた頃を思えば、今のこの喧々諤々と議論ができることの、何と恵まれたことか。田中代表は今、しみじみとそれを感じている。 逆境が順境な未来を創る。順境な道のりに成長はない。そのことを田中代表は胸に秘め、今日も訪れる難問に戯れている。化合した言葉達が、やがて未来への連想ゲームをし始める。田中代表の荒れた言葉達は、果たすべき未来像の連想ゲームを止めることはない。本気であればあるほどに、その躍動感は社会を動かす。 NHK『クローズアップ現代』にツーリストシップのブースが登場した。来週には日経新聞にも載る。そんな華やかな実績も、彼女に言わせれば一里塚だ。 この日の田中代表は荒れていた。この荒れた言葉達が、未来の沃野を意味していた。私に言わせれば、何ともたくましく、そして何とも、微笑ましい。(1075文字)

Vol.011  人間の創造性は、この葛藤にこそ、生まれ得る

ChatGPTが世間を賑わせている。AIが遂に、人間に成り代わって何でもやってしまう時代に入った。 レポートの作成だって、営業戦略の立案だって、恋愛相談だって、何でもこなせてしまう。 シンギュラリティ-はもう少し先だと思っていたら、AIが全てを支配する世界はそう遠くない未来図になってきた。 これはいわば、人間の長年の経験値を簡単にAIが乗り越えていく時代の到来を指す。年功序列によって保たれていた秩序は、年を重ねることで得られてきた経験によるものだった。その構図が壊れようとしている。 AIによる人間のロジックを凌駕した事件は、1997年のチェスの世界で、そして2017年の将棋の世界でそれぞれ起こり、AIの絶対的強さが証明された。今や将棋やチェスの類いは、AIが示す評価値によって有利不利かが一瞬で分かるようになった。長年の経験を積んできた猛者たちの解説を待たずして、AIが数秒で弾き出す最善手は、私たちに何をもたらし、何を奪いそして、どんな未来を描いていくのだろう。 ツーリストシップの浸透を視野に入れた一つの施策として、推進法を設立するという驚きの“一手”が示された。田中代表の語気が荒くなる。 「ツーリストシップを議員立法にすることを考え付きました。そのためには、いま進めているブース出展を通じて、データを取り集め、希少価値の高い事実でもって物事を動かしていく。データという事実を前にすれば、物事は案外真っすぐに進むのではないか。推進法の設立は確かに大変だけど、そう無茶な話でもないように思えてきたんです。」 最初は冗談だと思った。推進法にしてどんなメリットがあるのか。 「助成金にもつながっていきますし、旅行者や観光業界への一助にもなり得る。可能性が広がるのではと、直感で思いました。」 田中代表は冗談ではなかった。そして気の遠くなるような立法への道のりを、決して遠くない未来に据えていた。こういうサプライズがツーリストシップのプロセスだ。結論ファーストではない、この道程に力がみなぎる。ツーリストシップが日に日に、厚みを増していく。 『ツーリストシップ推進法を誕生させるにはどうすればいいですか』 もしChatGPTに聞いたら何と答えるのだろうか。一瞬やってみようと思ったが、やめた。プロセスが味わえなくなる。道程に咲く、試練という名の一輪の花が、ChatGPTによって儚く根絶やしにされることは忍びない。 「AIが避ける無駄の中から、人間の創造性が育まれる」 永世七冠を達成した未曽有の大棋士・羽生善治九段は、AIの台頭に対して「テクノロジーの進歩は止められない」としつつも、人間の創造性についてはそのように評価した。 ツーリストシップはまさに、人間が生み出した創造性の一つである。ChatGPTを有効活用することは間違いなく人類の叡智であり大きな一歩だ。しかし葛藤もある。その両方を併せ吞む受容的態度もまた、人間ならではの懐の深さとも言えるのだろう。 この葛藤は、この時代に生まれた私たちの特権である。ツーリストシップもまた、その特権の中で生き、もがき、乗り越えていく。 人間の創造性とは、そんな葛藤の渦にこそ、生まれ得るものなのだろう。田中代表は冷静だった。静かな闘志が、みなぎっていた。(1886文字)