December 2023

Vol.027  異文化交流のツーリストシップが始まる

ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーは、 『存在と時間』という著書の中で、生と死をこのように表現していた。 「人は死を隠して生きている。  だから《今ここ》の生を掴み切れない」。 死とは個人における終わりを意味している。終わりがあったとき、人はその日常の些細な出来事、何気ない景色に今まで感じたことのなかった意味を見出す。 彼の言う《今ここ》とは、私にとってはそういう、日常のあらゆる体験、景色に焦点を当てて、「今あるもの」を感じ続ける生き方の推奨を意味していたのではと、私なりに勝手に解釈していた。 田中代表から、ツーリストシップのコンセプトを整理したという話を聞いた。 「今一度、私たちが何を目指しているのかを明らかにしたい」 その《明らかにする》ための方法として、彼女は法人の信念を変えるという大胆な行動に出た。 「一見するとあまり変わった感じしないかもしれませんが、  結構変わってるんですけど、どうです?」 いやいや、私に言わせれば大きな舵取りである。大転換はこうして、ごくありふれた日常の中に、何気ない顔をして突然訪れるのかと思った。 マナー啓発団体から交流創生団体へ。 旅行とは、異文化交流である。 この、シンプルで力強い言葉を、まさかこの年末に聞けるとは恐れ入った。 13ページにも及ぶコンセプトの概要に目をやる。概念性の高いものから、具体化されたプランニングまで、そして今抱えている課題も勢ぞろいしていた。 そう、まるで、「終わりを意識した人間」かのごとく、《今を生きる》田中代表の佇まいとして現れていたのである。 Q&Aが特に印象深い。 Q1 なぜトラベラーではなく、ツーリストなのか。 これは言われてみればその通りだ。どちらも旅行者という意味がある。 ロゴの感じとか、発声の言いやすさなんだろうかと続きを読むと、こうなっていた。 トラベラーは、トラバーユ=労働であり、ツーリストは、ターン=回る。 つまり「色んなところに行き、交流をしていく」イメージに適しているのがツーリストシップ。 大胆な行動の裾野には、細部に宿る神経質なまでの配慮がある。 そして彼女にとっては、ちょっとした変更、「異文化交流」という言葉をメインに据えたことについて、「一見するとあまり変わった感じしないかもしれません」と謙遜したが、いや、私にはわかる。大胆にして繊細な一歩であることは間違いない。 そう言えば田中代表は最近、風邪をひいたらしい。健康って大事だな。そんなことを思ったそうだ。 先日も、今年最後の講演で喉が渇いて話しづらくなり、本人としては不甲斐ない、申し訳ない時間にしてしまったと反省していた。 来ていただいた方にとっても、この一瞬しかない価値ある時間を思えば、「もっともっと頑張ろう」「健康万全で挑もう」という意思が芽生える。 《今ここ》の生を掴み取る活動に立つからこそ、感謝も生まれ、人の痛みも分かち合える。 今思うとこの1年、あらゆるニュースに目をやると、《今ここ》を捉えきれなかった出来事が多すぎた。 相手の喜び、痛み、悲しみに寄り添えるというのは、日常に思いを馳せ、その日常の小さな変化を大胆に起こせる人を指すのかもしれない。勝手ながら、そんなことを、思ったのである。 やがて時間になり、セッションを終える。 恐らく今年最後になるだろうこのセッションの終わり方も、実に日常的だった。 また次が、始まるのである。ツーリストシップの日常がそこにあるのである。 《今ここ》の生を感じ、掴み続ける活動が、積み重なるのである。 年末の夜も、そうでない夜も。 「人は死を隠して生きている。  だから《今ここ》の生を掴み切れない」。 異文化交流としての、《今ここ》にあるツーリストシップが、始まろうとしている。

Vol.026  「もう大変」な師走にふと、思うこと。

2023年が終わろうとしている。 年の瀬に入り、まさに「師走」という言葉がぴったりのバタバタな日々を、皆様はお過ごしだろうか。 師走という言葉の語源は諸説ある。「お坊さんが走り回るくらい忙しい」が有力な定説だそうだ。お盆ならいざ知らず、年末のさなか、昔は家にお坊さんを招いてお経をあげてもらうような風習でもあったのだろうか。そんなお坊さんに負けないくらい、「忙しく」慌ただしいニュースが最近目立っている。 自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる問題、いわゆる「あんたら、キックバックもらってるうちゃうん?」である。 日々報道が更新され、あの人もか、この人もかと、具体的な政治家の方々の名前があがる。おそらく党本部は、この対応に追われ、まさに「走り回っておられる」ことだろう。 やや客観的に見たとき(過去幾多のお金の問題が取り上げられるたびに)、思うことがある。 確かにそれが悪いことでしたと決まれば看過できないのだろうが、そもそも、なぜこうして時代が変わろうとも、お金の問題、つまり組織に根深く突き刺さる疑惑は後を絶たないのか。 そういう人物を政治家に選んだ有権者の責任、というロジックもなるほど正しいのかもしれないし、ワイドショーでもよく耳にする展開だ。しかし、いやいや、「そもそも」である。私はどちらの肩も持たない主義だが、どうしてもぬぐえない疑問がある。 どうして「ダメと分かっていること」が起こってしまうのか。大きな組織・政党を維持するうえで「何がそうさせているのだろうか」という問いに立ってみることはできないのだろうかと。 仮に、私のような庶民には知りえない力学があって、そうでもしないと政党の運営が持たないとすれば尚更である。個々の政治家の行為以前に、そういう仕組みや組織体でことを進めようとしている運営面に課題はないのか。課題とするテーマ設定を見直すことはできないのだろうかと、そういう気がしたのである。 「もう大変です」 最近の田中代表は、第一声の言葉をしれっと冒頭に載せていく私の癖を見抜いてか、なかなかキャッチ―な言葉を言い慣れてきた感さえある。力強いというか、「待ってました」のような、そんな空気感が電話越しに伝わってくる。 「大変」なのは言うに及ばず、ツーリストシップ訴求のために何が今必要か、その戦略が「大変」なわけである。やることも多い、課題も降ってくる。判断選択の機会も増していく。 嗚呼、もっと考える時間が欲しい。ツーリストシップの哲学が社会に根を張り、ぶれずに前に進めるにはどうすればいいか。そうか、私の右腕となってくれる人が必要じゃないのか。そんなことが頭を巡る。 そこで考えていることが、ツーリストシップの組織化だった。本部機能を充足させ、機動力と共に統治基盤を固めていく。あわせてツーリストシップという言葉の軸となるものを、さらに明らかにし、伝え届けていく仕組みを構築すること。このことが、未来のツーリストシップには欠かせないということだった。 もう一度言うが、私はどの政党にもどの立場にも身を置くつもりはない。しかし、ここでふと、最近の報道を思い出す。きっと、恐らく、対応に走り回る方々も、ツーリストシップに負けないくらいの志と思いを立てて今日を生きておられるはずである。なのに、こうして、疑念を晴らすことに「走り回る」年末を過ごしている。本来の国是に寄り添えぬ歯がゆい日々を目の前に、私はそのことが無念でならない。 田中代表の描く組織は、この先の未来をどう照らしていくのか。今まで以上に地球儀を駆け回り、汗をかき、そして大きなうねりと哲学を携(たずさ)え、価値を創り続けるであろうことは目に見えている。しかし願わくば、未来に向けた志「以外のこと」で、走り回るようなことにはなって欲しくないなと、まるで親心のような気持ちで聞いている私がいた。 資金面の壁、言語化の壁、組織化の壁。あらゆる壁は、田中代表を更に大きくし、しいてはそれがツーリストシップを磨いていく。それは、理事をはじめとして様々な先輩方の声を真摯に聞き入れ、即座に改善に変えている田中代表の姿勢あればこそだ。 2023年が終わろうとしている。 ツーリストシップの師走は、「忙しく振り回される」師走になるか、はたまた、嬉々として地球儀を駆け回り、その度に活力を高め合える「充実した」師走になるか。 「トップ以上の組織はできませんから。」 最後に聞いたこの言葉で安堵した。私の懸念は、杞憂であった。