April 2023

Vol.010  理想の対義語は現実にあらず。成功の対義語は失敗にあらず

国語の授業で「対義語」という言葉を聞いたことがある。 意味上の対(つい)をなす語、反対の意味を指す言葉。 例えば「大きい」の対義語は「小さい」、「狭い」の対義語は「広い」、「良い」「悪い」、「深い」「浅い」あげればきりがない。 では、「理想」という言葉の対義語は、何でしょうか。 そうですね、「現実」となります。 ツーリストシップに限らず、あらゆる団体が志を立て、その手に握る夢というものには、確かな「理想」が存在し、その理想こそが原動力となって様々な行動を発起させる。 云わば「理念」とも言える、何のために、誰のために、なぜやるのかという動機の根っ子である。 崇高な理想は得てして、現実の問題を蔑ろにしがちである。立派なことは口にしても、実際の行動に移せない、寂しい志は世の中、枚挙に暇(いとま)がない。 ともすれば、旅行者、観光従事者、住民の三方善しを目指すそのツーリストシップの志もまた、数多くある《行動なき理想の1ページ》に埋没しかねない。描いて終わるような、儚い理想に留まっては、この誇り高き理想は水泡に帰す。 しかし田中代表は、行動を求め、「現実」を見ていた。この先の人不足、そして効率と効果との両輪を視野に入れた突拍子もないような、けれど実に現実を見据えた構想を設計していた。 そう、ブースの無人化である。 人と人とが膝と膝を突き合わせて初めて成し遂げられることこそが「ツーリストシップ」であると思いきや、田中代表の頭の中では、エクセルで弾き出された精巧な損益分岐、収支計算の表でびっしり埋め尽くされていた。コストを抑え、幅広い展開を視野に入れて考えれば、何でも人がすることの問題点は明らかだ。人がやらないといけないという思考の枠を外した。理想に走ると見せかけて、この周到な現実主義には頭が下がる。 この日、田中代表の話を聞いていて思ったことがある。理想を成し遂げる上で、現実が障壁になるという発想は田中代表にはないと思った。その迫りくる現実こそが、理想を実(じつ)に結ぶ突破口であるという思考だった。つまり、理想と現実は、田中代表にとっては対義語ではない。同義語なのである。 ブースの無人化、その飽くなき挑戦はまさに、真のツーリストシップの成功のための一里塚である。やってみなければ分からない、その心意気は既に、ツーリストシップを地で生きる者の佇まいだ。頭に描くイメージ図と計算機の同居、なるほど、さもありなんである。 ちなみに「成功」の対義語は何でしょうか。そう、失敗と答えるのは辞書としては正しいが、ツーリストシップとしては不正解。 正解は、…そうですね。成功の反対は、挑戦しないことですね。 アメリカの教育者、ノア・ウェブスターは言いました。 「成功とは、探し求めた目標の、満足のいく達成である」 田中代表が観る世界は、理想じゃない。挑戦という道の向こう側に立つ、「現実」そのものである。 (1187文字)

Vol.009 ツーリストシップの書籍が生まれる

ツーリストシップの書籍が生まれる。さらりと書くと「ふーん」で終わりそうだが、ツーリストシップが本になるなんて、よくよく考えれば凄いことだ。 田中代表はここ数日、しれっと、ほぼこの執筆に時間を割き続けてきた。雨の日も、風の日も、イベントブースに立ってはふと、「あ、思いついた」と豆電球が頭上に浮かんでは、切れ端にメモをしたりする日も、あったことだろう(知らんけど)。 そんな怒涛の執筆活動を終えた、出来立てほやほやの当日に、この話を伺った。 山は高ければ高いほど登り甲斐がある。登ったものにしか見えない景色。無心でツーリストシップを描き、語り、したためたプロセスが、どんな観光地のそれをも凌駕する絶景を用意したに違いない。 「やっと終わりましたよ」 充実感、達成感に満たされた言葉だった。 田中代表の、まさに駆け抜けた直後のインタビューとして、発せられた言葉たちをそのまま列挙してみた。 ・書くことで考えがまとまった・時折書き直すことによって、描いていた考えがよりブラッシュアップされていった・私は何を目指しているのか、どういう世界を創りたいのかが、より鮮明になった・もう、これ以上ないくらいに書き切った・いま、解放感が心地いい・一つひとつ調べながら書いていったので、新しい知識も習得できた・構想していたものが言語化されていった・書かねばならないという緊迫感が、本来好きだった《書く》という行為を重たくもしていた 登ったものでしか語れない生(なま)の言葉たち。登るということは、まさにその人にとっての体験こそが価値ある経験となって、この先の血肉となることを意味していた。田中代表がまた一回り大きくなった気がした。 ツーリストシップは、寄り添うことと、交わり合うことを推奨している。せっかくの旅行を、もっと楽しいものに、もっとワクワクすることができるのに、ただ旅行するだけではモッタイナイ。そんな想いが田中代表にはある。 ここで面白い表現があった。 寄り添いと交わり合いには、順番がある。寄り添いが先で、交わり合いは、後。寄り添いが《マイナスをゼロに戻し》、交わり合いが《ゼロをプラスに》していくという。 うーん。聞いていて、分かったところと難解なところが同居している。詳しくは書籍で全て明らかになるのかもしれない。この深みもきっと、魅力の一つだろう。 執筆活動そのものによって、ツーリストシップが今まで以上に幅を持ち、深さを得たように見える。登った頂上の、そこでしか見せない景色は確かに素晴らしい。だが、例えば頂上から見た景色も、登る苦難をショートカットして、楽楽と見下げた場合、その景色は同じでも、心に映す重みや輝きはまるで違うだろう。 あえて言えば、書籍が世に出るということは、完成したことを喜ぶのではなく、雨の日も風の日も、常に考え模索し続けた、登山の苦難そのものにこそ価値があったとも言えるのではないか。書き終えた田中代表からの一言一言、その態度一つひとつにこそ、ツーリストシップが《書き連ねられている》のだろう。 なんだかんだ言って、手に取ってツーリストシップを手軽に《読むことができる》ことは、私たち読者にとってはこの上ない喜びだ。何と言っても、田中代表が登ったその苦しかったプロセスを体験できるわけだ。もちろん、書いたものにしか分からない景色を読者は手に入れることはできないが、共に感じ合うことはできる。共に共鳴し、語り合うことだってできる。まさに《寄り添い、交わり合う》ことが、書籍ができあがることで、より鮮明になるのだ。 寄り添い、交わり合うことの、ツーリストシップの醍醐味をこの手に取ることのできる日が、今からもう、待ち遠しい。