Vol.016  無計画であることの大切さ。それを何とか《する》のが、田中千恵子だ

「これで、何とかなりますか?」

定例ヒアリングの後半で田中代表が、思い出したかのように言い放ったこの言葉。無論、何とか《なるか》ではなく、何とか《する》のが私の仕事だ。だから問題ないと言ったら、

「経験は、きっかけですからね」

という、何とも言えないフレーズが追い打ちをかけた。確かに今日は何のテーマを扱ったのか、うまく整理できない。そもそもツーリストシップ史上に残る大偉業のことには一切触れず、ただ出てくる田中代表の感情を受け止め続けていた。この不意のやり取りをしながら、ふと頭に浮かんだ言葉があった。

セレンディピティという言葉である。「思いもよらないもの」「偶然の出会い」によって運ばれてくる幸運のようなものだ。

出逢いの全てがもし、計画されたもの以外には起こりえず、予測できるものであったとすれば、何と安定したつまらない人生なのだろうと思うことがある。人の気味(きび)というものは、幾多の不意打ちによって作られている。人は約束されていないことに出逢うたびに、人生の奥深さと、ある種の使命感のようなものを抱く面倒な生き物なのだろう。「ありがたい」とは「有難い」であるから、感謝にはいつも「普通あり得ない」「予測できないもの」であることが本来は大前提なのかもしれない。感謝の数は、つまりは不意打ちの数。だとすれば「無計画」というものも、あながち悪くない気がする。

そもそもセレンディピティという言葉は、ペルシアに残るおとぎ話『セレンディップの三人の王子』が起源だと言われている。父王に命じられて旅に出たセレンディップ(現在のスリランカ)の3人の王子が、途中で遭遇するトラブルを、それぞれの知恵と機転で見事に解決していくというお話し。

田中代表のここまでの歩みは、きっとこの知恵と機転によるものだったのだろう。3人の王子と同じく、彼女はツーリストシップという航海の旅を、こうしてセレンディピティに舵取りしている。

もしかしたら、彼女に「計画」というのはいらないのかもしれない。事実彼女は、幾多の不意の出逢いの積み重ねで今日を迎えている。約束されたものなど何一つなかったはずだ。その出逢いを田中代表は、ただただ《有難く》受け止め、その感謝を形に変えていった。

そう、その感謝の形の一つが、本来ど真ん中で取り上げるはずだった、ツーリストシップの書籍が遂に発売になって、京都の書店のあらゆるところで置かれている、という史上最大級のニュースであった。この偉業を差し置いて、彼女はその「無計画」を語り出したのだった。

でもこれで合点がいった。書籍の誕生は確かに偉業だが、もちろんゴールではない。その先に大きなミッションを見出したるものにしか映らない景色を、彼女は懸命に逃すまいとロックオンしている。だから、書籍のことはもう既に、「次の何か」の布石になっている。

「これで、何とかなりますか?」

ハッキリ言えば、何も、何ともならない。何ともならないから、「何かが生まれ続けてきた」のがツーリストシップの歴史であり未来だろう。だから、何とか《する》。そういうことでこれからも、ツーリストシップは歩み続けていく。

彼女に圧し掛かった責任というものが、この本には乗っかっている。だから書籍の誕生をまだ「喜ぶものではない」のだろう。新聞広告に自分が出した書籍が載っている。それを見つけた瞬間、「やった」ではなく「まじか」が先に来るそうだ。第一人者にとっては、そういう世界なのである。

セレンディピティの旅は、これからも田中代表を支え続ける。知恵と機転が、この先の未来に一石を投じる。何とか《する》のが、田中千恵子だ。