Vol.027 異文化交流のツーリストシップが始まる
ドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーは、
『存在と時間』という著書の中で、生と死をこのように表現していた。
「人は死を隠して生きている。
だから《今ここ》の生を掴み切れない」。
死とは個人における終わりを意味している。終わりがあったとき、人はその日常の些細な出来事、何気ない景色に今まで感じたことのなかった意味を見出す。
彼の言う《今ここ》とは、私にとってはそういう、日常のあらゆる体験、景色に焦点を当てて、「今あるもの」を感じ続ける生き方の推奨を意味していたのではと、私なりに勝手に解釈していた。
田中代表から、ツーリストシップのコンセプトを整理したという話を聞いた。
「今一度、私たちが何を目指しているのかを明らかにしたい」
その《明らかにする》ための方法として、彼女は法人の信念を変えるという大胆な行動に出た。
「一見するとあまり変わった感じしないかもしれませんが、
結構変わってるんですけど、どうです?」
いやいや、私に言わせれば大きな舵取りである。大転換はこうして、ごくありふれた日常の中に、何気ない顔をして突然訪れるのかと思った。
マナー啓発団体から交流創生団体へ。
旅行とは、異文化交流である。
この、シンプルで力強い言葉を、まさかこの年末に聞けるとは恐れ入った。
13ページにも及ぶコンセプトの概要に目をやる。概念性の高いものから、具体化されたプランニングまで、そして今抱えている課題も勢ぞろいしていた。
そう、まるで、「終わりを意識した人間」かのごとく、《今を生きる》田中代表の佇まいとして現れていたのである。
Q&Aが特に印象深い。
Q1 なぜトラベラーではなく、ツーリストなのか。
これは言われてみればその通りだ。どちらも旅行者という意味がある。
ロゴの感じとか、発声の言いやすさなんだろうかと続きを読むと、こうなっていた。
トラベラーは、トラバーユ=労働であり、ツーリストは、ターン=回る。
つまり「色んなところに行き、交流をしていく」イメージに適しているのがツーリストシップ。
大胆な行動の裾野には、細部に宿る神経質なまでの配慮がある。
そして彼女にとっては、ちょっとした変更、「異文化交流」という言葉をメインに据えたことについて、「一見するとあまり変わった感じしないかもしれません」と謙遜したが、いや、私にはわかる。大胆にして繊細な一歩であることは間違いない。
そう言えば田中代表は最近、風邪をひいたらしい。健康って大事だな。そんなことを思ったそうだ。
先日も、今年最後の講演で喉が渇いて話しづらくなり、本人としては不甲斐ない、申し訳ない時間にしてしまったと反省していた。
来ていただいた方にとっても、この一瞬しかない価値ある時間を思えば、「もっともっと頑張ろう」「健康万全で挑もう」という意思が芽生える。
《今ここ》の生を掴み取る活動に立つからこそ、感謝も生まれ、人の痛みも分かち合える。
今思うとこの1年、あらゆるニュースに目をやると、《今ここ》を捉えきれなかった出来事が多すぎた。
相手の喜び、痛み、悲しみに寄り添えるというのは、日常に思いを馳せ、その日常の小さな変化を大胆に起こせる人を指すのかもしれない。勝手ながら、そんなことを、思ったのである。
やがて時間になり、セッションを終える。
恐らく今年最後になるだろうこのセッションの終わり方も、実に日常的だった。
また次が、始まるのである。ツーリストシップの日常がそこにあるのである。
《今ここ》の生を感じ、掴み続ける活動が、積み重なるのである。
年末の夜も、そうでない夜も。
「人は死を隠して生きている。
だから《今ここ》の生を掴み切れない」。
異文化交流としての、《今ここ》にあるツーリストシップが、始まろうとしている。