Vol.028  台湾3泊4日の《ぶら田中》放浪記

※元日に発生した能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福を謹んでお祈りするとともに、被害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

それは、旅に対しての「もう一つの価値観」に出逢う《旅》だった。

3泊4日、田中代表は単独で台湾に行った。何のプランも持たず、何の事前準備もせず、である。もともと台湾は、田中代表が子どもの頃に住んでいた場所。だからと言って、わざわざ無計画で3泊4日とは恐れ入った。

「ガイドブックも持たず、ただ街をウロウロしてみたかった」

そんな思いつきは、ただの直感ではない。旅の常識に、自ら一石を投じたくなった。

「みんな観光地といえばココ、という人気スポットに集まる。

 コアで地元の人しか知らない場所にいけば、観光客が分散する。

 そういう狙いもあっていい気がした」

SNSが市井の声を拾い、万人にチャンスを与え、ボーダレスにしたと言われるが、却って情報の格差、価値の格差を生んだと田中代表は考えている。だからこそ、分散すること、そして観光スポットではないところに行って、新しい出会いを生み出すことも、旅の醍醐味なのだと主張する。それを身をもって体感しに行ったのだった。

「観光地に行かなければとスケジュール詰め詰めの旅では出逢えない人がいました。

 それは、地元の方との触れ合いであり、何より、自分自身だった」と田中代表は振り返る。

写真を少し拝見した。いわゆる観光地のメッカでは出逢えないであろう、地元の方々の笑顔、そしてレトロなカフェ。着飾ることはない代わりに、どことなく不器用というか、整っていない感じにも映る。その一つひとつは確かに立派な観光名所とは言いづらいものなのかもしれないが、人の体温があり、生活の息遣いが感じられる。用意されていなかった偶発的な出逢い、その一人ひとりには勿論、今ここでは到底理解しえない壮大な人生ドラマが幾重にも折り重なっている。荒れた手の甲が、刻まれたシワの一つひとつが、きっと多くの苦労と歓喜を手繰り寄せた軌跡の数だ。そう思うと、出逢う度に何だか凄い気持ちになってくる。やがて織り成す出逢いに、自らの人生を重ね合わせる。旅が私に、奇跡をくれる。やがて意味が、立ち現れる。台湾の旅で得た「もう一つの価値観」とは、そういう昨今の旅行事情に待ったをかける、大人数が集う安心感だけが観光ではないのだという訴えでもあったのだろう。

他方で、用意された人気スポットの価値は観光の生命線だ。当然である。集客力は確かに力であり正義だ。その力学が観光業界の盛衰を大きく左右する。「観光地が盛り上がる」とは、いわばマネーの綱引きに勝つ事であり、パイの取り合いを制することだ。それが現実なのだ。

しかし、そんな景気のいい話を、もはや分かったように推測し、計画通りにことを進められるなどと、うぬぼれてはならないとも思うのである。どこで何が生まれるか、何が本質的な価値になるか、まるで読めない予測不能なものにこそ、私たちはそのスリルにおぼれ、ワクワクしてきたのではなかったか。

「人間が自分の知恵や技巧に自信を持ちすぎて、何もかもが計画/計算ずくで事を為そうとする、そういうビジョンはたいしたことはないので、そういう「計らい」の外に出て行く何かこそ、現代にもっとも大事なことではないかということである。(中略)私の本音として、最後は結局、ある不可思議な何かに導かれていくことになるのではないか、そしてそれが本当に生きるということなのではないか。」

民族地理学の第一人者・川喜田二郎氏の言葉だ。川喜田氏は知ってか知らずか、この国は今年、元旦から大きな試練を背負った。日本列島は、世界の地震の10%を《保持》している危うい船である。そういう偶発性は何も良いことばかりではない。しかし、その良いことではないものを《良くしていく》可能性を内在していることもまた、川喜田氏の言葉を借りれば、「生きる」ということである。

「私って案外、人見知りなんだなあって、思っちゃいました」

今回の《ぶら田中》の旅は、思ってもいなかった自分自身への内省の旅でもあった。用意されないことの価値は、この先のツーリストシップを更に大きくすることだろう。