Vol.009 ツーリストシップの書籍が生まれる

ツーリストシップの書籍が生まれる。さらりと書くと「ふーん」で終わりそうだが、ツーリストシップが本になるなんて、よくよく考えれば凄いことだ。

田中代表はここ数日、しれっと、ほぼこの執筆に時間を割き続けてきた。
雨の日も、風の日も、イベントブースに立ってはふと、「あ、思いついた」と豆電球が頭上に浮かんでは、切れ端にメモをしたりする日も、あったことだろう(知らんけど)。

そんな怒涛の執筆活動を終えた、出来立てほやほやの当日に、この話を伺った。

山は高ければ高いほど登り甲斐がある。登ったものにしか見えない景色。無心でツーリストシップを描き、語り、したためたプロセスが、どんな観光地のそれをも凌駕する絶景を用意したに違いない。

「やっと終わりましたよ」

充実感、達成感に満たされた言葉だった。

田中代表の、まさに駆け抜けた直後のインタビューとして、発せられた言葉たちをそのまま列挙してみた。

・書くことで考えがまとまった
・時折書き直すことによって、描いていた考えがよりブラッシュアップされていった
・私は何を目指しているのか、どういう世界を創りたいのかが、より鮮明になった
・もう、これ以上ないくらいに書き切った
・いま、解放感が心地いい
・一つひとつ調べながら書いていったので、新しい知識も習得できた
・構想していたものが言語化されていった
・書かねばならないという緊迫感が、本来好きだった《書く》という行為を重たくもしていた

登ったものでしか語れない生(なま)の言葉たち。登るということは、まさにその人にとっての体験こそが価値ある経験となって、この先の血肉となることを意味していた。田中代表がまた一回り大きくなった気がした。

ツーリストシップは、寄り添うことと、交わり合うことを推奨している。
せっかくの旅行を、もっと楽しいものに、もっとワクワクすることができるのに、ただ旅行するだけではモッタイナイ。そんな想いが田中代表にはある。

ここで面白い表現があった。

寄り添いと交わり合いには、順番がある。寄り添いが先で、交わり合いは、後。寄り添いが《マイナスをゼロに戻し》、交わり合いが《ゼロをプラスに》していくという。

うーん。聞いていて、分かったところと難解なところが同居している。詳しくは書籍で全て明らかになるのかもしれない。この深みもきっと、魅力の一つだろう。

執筆活動そのものによって、ツーリストシップが今まで以上に幅を持ち、深さを得たように見える。登った頂上の、そこでしか見せない景色は確かに素晴らしい。だが、例えば頂上から見た景色も、登る苦難をショートカットして、楽楽と見下げた場合、その景色は同じでも、心に映す重みや輝きはまるで違うだろう。

あえて言えば、書籍が世に出るということは、完成したことを喜ぶのではなく、雨の日も風の日も、常に考え模索し続けた、登山の苦難そのものにこそ価値があったとも言えるのではないか。書き終えた田中代表からの一言一言、その態度一つひとつにこそ、ツーリストシップが《書き連ねられている》のだろう。

なんだかんだ言って、手に取ってツーリストシップを手軽に《読むことができる》ことは、私たち読者にとってはこの上ない喜びだ。何と言っても、田中代表が登ったその苦しかったプロセスを体験できるわけだ。もちろん、書いたものにしか分からない景色を読者は手に入れることはできないが、共に感じ合うことはできる。共に共鳴し、語り合うことだってできる。
まさに《寄り添い、交わり合う》ことが、書籍ができあがることで、より鮮明になるのだ。

寄り添い、交わり合うことの、ツーリストシップの醍醐味をこの手に取ることのできる日が、今からもう、待ち遠しい。