Vol.004 キムチチゲ鍋がどうしてこうも、美味しく感じられたか
肉、野菜、魚介類を鍋に放り込み、グツグツと煮込む。そこに辛口の白菜キムチを入れれば、キムチチゲ鍋の完成だ。
4日間の嵐山での出店を終えた田中代表は、その後に食べたコンビニのキムチチゲ鍋の味が忘れられないそうだ。特筆して秀逸だと感じたのは、その価格の安さ。こんな素晴らしいクオリティを、この価格で味わえるのか。田中代表の記憶に、キムチチゲ鍋が深く刻まれた瞬間だった。
鼻息荒い田中代表の、そのチゲ鍋で得た幸福感は、確かにコスパもあるだろう。しかし4日間の寒空で、観光客と向き合い、共に汗を流したからこその、いわば山頂で食べるおにぎりが美味しく感じられる、あの感覚に似ている気がする。その感動は、実はその味ではない。乗り越えた体験であり、触れ合った人の温かさだ。
4日間の嵐山で、こんなことがあった。
ツーリストシップの男性スタッフの指が、寒さと乾燥でぱっくりと割れて「血だらけになった(田中代表)」。それでも笑顔を絶やさず、ただ真っすぐに触れ合うスタッフの、その姿勢が人を動かした。
痛む指には目もくれず、観光客に寄り添う彼に、ある外国人観光客がそっと、絆創膏を手渡した。しかも一度その場を去ってから、わざわざ戻ってきて、絆創膏を手渡して帰っていった。
どこかの薬局で買ってくれたのだろうか。それとも、どうしても気になって、葛藤の末に思わず戻ってきてくれたのだろうか。理由はともかく、その葛藤さえも、人間味があり、愛があり、何とも言えない温かい気持ちが心を包む。
便利な世の中になり、何でも自分の狙ったものが、狙った通りの結果になるものだと、どこか私たちは当たり前のように決め込んでいる。しかし本当にそうだろうか。何が面白くて、何がきっかけで、果たしてどうなっていくかなどを、正確なロジックで答えた歴史はそう多くはない。4日間の嵐山での出店、そこで出逢った観光客の皆さんとの触れ合いは、すべてが予想外であったはずだ。田中代表が、キムチチゲ鍋の味が忘れられない理由もそこにある。そこで得た偶然のプロセスが、普通のキムチチゲ鍋を「今ここでしか味わえない」至極のご馳走に変えたのだ。
ちなみにCOOKPADさんによると、キムチチゲ鍋を濃厚にしたい場合は、納豆を入れると驚くほどコクがでるそうだ。キムチと納豆の融合、今でこそ普通の話だが、当初は誰もが耳を疑うほどの異色の組み合わせだったことだろう。現在の常識は、過去の非常識の積み重ねから生まれている。そういうことを、田中代表は、キムチチゲ鍋から学び取ったと書いたら、それはさすがに、言い過ぎだろうか。