Vol.005 マラマ・ハワイで得たツーリストシップの重み
ある日、タクシーに乗ったとき、後部座席にこんなステッカーが貼られていたことに気づいた。
「今日も笑顔で対応します」
何と素晴らしいメッセージ、そして決意の高さだと思った。恐らくタクシー会社が全車両に揃えて貼っているものとはわかっているが、こうもしっかり宣言されると並の笑顔では許されないなあと思って、頼もしくも感じ、悠々と乗っていた。
その直後である。横から飛び出してきたバイクを見て急ブレーキ、その瞬間、「チッ」という舌打ちの音が運転手の口から発せられた。何ともバツの悪い空気が室内を漂った。誇らしげだったあの大きなステッカーが、余計にむなしく、そして小さく見えた。
人は、うたい文句の凄さと現実との乖離を感じたとき、がっかりする。
そのギャップがない状態、いわば「言行一致」であればあるほど、安心感を覚える。何事もマッチすること、心のフィット感が大事である。
2月4日、第二回のツーリストシップ新年会を終えてすぐ、田中代表は実妹と二人でハワイ旅行に出かけた。単なる旅行ではない、「マラマ・ハワイ」を体感するためだ。
「マラマ」とは日本語で「思いやりの心」を意味する、ハワイ観光局が掲げているスローガンだ。まさにツーリストシップのマインドを鮮明に宣言しているその地を実際に訪れ、肌で感じたい。その想いが田中代表を突き動かした。事実、行ってみて気づいたことは多かった。
シュノーケルではウミガメにも遭遇し、一旅行者としてハワイを満喫した。出会う食事、景色、そしてウミガメ。世界有数の観光地であることも、また日本人に最も愛される海外の観光地の一つであることも、納得がいく。どれも魅力で満ちていた。しかし意外にも、ハワイで得た大きな価値は、準備された観光スポットに限らなかった。
やはり、「ひと」だったのである。
2人でビーチバレーをしていた。姉妹水入らずの時間は心地いいものだった。しかし、もっと楽しみたい、そして、出会いたい。心が動き、声をかけた。一緒にビーチバレーしませんか。快く加わってくれた。よし、一緒にやろうじゃないかと。
ハワイに用意された観光名所はパンフレットを見れば明らかだ。準備された感動は、それはそれで旅行者の胸を躍らせる。しかし、実際にその場に立ち、そこで起こるイベントは、ほぼ予期できたものではない。偶然出会った観光客と、ビーチバレーができるなんて、もちろんパンフレットには書かれていない。
結果その戦いは白熱、3セット全て田中姉妹の勝利。まさに手加減無し、真正面からアタックを続け、相手を揺さぶった。
そのやり取りを聞いて、私が思ったことがある。マラマに込められた「思いやりの心」とは、そこに用意されたものというよりも、その場で出会い、触れ合った時に起こるものだということだ。
あの日私がタクシーの後部座席で見たものは、確かに宣言され、約束された誇り高きメッセージだった。しかしその約束は、そのたった一瞬の舌打ちでもろくも崩れ去った。これくらい、言葉というものは威力があり、またもろくはかないものなのだ。
きっと田中代表は、だからこそ、マラマという言葉の重みを感じたことだろう。そしてまた、ツーリストシップがもつ可能性とリスクもまた、彼女の両肩に圧し掛かったことだろう。ハワイで得たのは、その重みと可能性だったのではと、聞きながら感じた。
だからこそ、ツーリストシップが今推し進めているブースの出店が意味を持つ。現地で出会う一人ひとりと語り、膝を突き合わすことの価値は、ハワイで得たビーチバレーがそれを物語っていたからだ。
「思いやりの心」を表現できる場は、あのタクシーの後部座席にはなかった。あったのは、ハワイに立った実際の体験であり、ビーチボールを本気で打ち付けたその、たくましい右腕と、ジンとする掌だったに違いない。
体験というものの大切さ、言葉の重みというものの大切さを、ハワイで得た3泊5日だった。