Vol.42 ツーリストシップの名参謀・桜井康広がいなければ。
桜井さん、体調はいかがですか。私はどうしても、桜井さんに謝りたいことがあります。そう、取材を依頼した日、桜井さんは喉を傷めてガラガラ声でした。別日にした方がいいでしょうかと事前に連絡を頂いた時、あろうことか私は「それでも会いたい」と強引にセットしてしまいました。当日、優れない体を引きずって約束していたファミレスにお越しいただき、痛む喉を脇に置いて、何一つ嫌な顔をなさらず、献身的にお話をして頂きました。
ツーリストシップで世界を変える。
こんな大それた話を真面目に語る田中代表に、新しい扉の開く音がした。この人は一体、何を言っているんだろうと思う間もなく、こんな不確実なことに懸命に向き合う、うちの娘と同年代の若者がいるということにただただ驚いた。田中代表を通じて、世界の広がり、展開のイメージが沸き立った。できるかどうかはどうでもいい。そうやって目指している人が不思議で楽しくてたまらないということが大事だった。気が付いたら、いつもそばで支える存在になっていた。
55歳を目前にして、自分のキャリアを考えた。中小企業診断士を目指して勉強も始めた。しかし、購入した本は自宅に順調に積読されていった。若い世代からの刺激がこんなにも面白く、未来を感じさせるものとは思ってもみなかった。いわば勉強をしている暇はなかった。コロナ禍で旅行者と会えなくなった時には、各国の大使館に感謝を伝える活動をした。ずっと組織に勤めてきて、事を動かす難しさ、幾重にも渡る段取りの数に何度ため息が出たか分からない。しかしツーリストシップではまるで全てがベンチャーだった。大使館に足を運ぶ機動力に舌を巻いた。考える間もなく次に着手する。できるかできないかよりも、やりたいこと、やるべきことを優先するものだから自然と加速する。駆動の馬力もまるで違う。斬新だった。もう魅力いっぱいだった。
どうしてこんなに献身的に田中代表を支えるのですかと、原動力を聞いても、むしろ私の方が田中代表に支えられていますからと譲らない。桜井さんがいなければ、間違いなくツーリストシップはここまでの成長は遂げていない。そんな功労者から生まれた言葉は「立ち上げ当初にお世話になった方々に何か恩返しがしたい」だった。どこまで人を支えるんですかと、私は何度も突っ込みたくなった。
桜井さんにはちょっとした野望がある。もっとシニア層の方々に普及できないか、そのことを考えない日はない。未来を担う若者には確かに普及させたい。ただ若者に比べて、時間もお金もあるシニア層の方はきっとたくさんいるはずである。自分自身が田中代表に感化されたように、同年代の方々とワクワクする未来を共有したい。その志を語る桜井さんの目は、幾分充血していた。いや、そういうことじゃなくて、それこそ桜井さん、体調悪いからでしょうに。重ね重ね、お詫びするしかございません。
桜井さん、お元気ですか。ツーリストシップに正メンバーとして加入されて、その志はこの先益々重要になってくると思います。桜井康広なきツーリストシップは考えられません。なので、お体くれぐれもお気をつけていただき、たくさんのツーリストシップの花を咲かせてください。私も、田中代表と同じく、桜井さんの献身的で真心一杯の姿勢に惚れ込んだうちの、一人です。