vol.37「まだ見ぬ未来」を、次のレールは指し示す

(ライター:弓指利武、音声:井本ゆうこ)

一世を風靡したアーケードゲーム『スペース・インベーダー』が登場したのが1978年。日本経済が上向かず、1ドル200円にまで円安が進行したその時を同じくして、海援隊がリリースした『思えば遠くへ来たもんだ』が大ヒットする。

コスモスの花をゆらし、貨物列車が走り過ぎる。
その冷たいレールに耳を当てて、まだ見ぬ異郷の地を想像していた。
故郷を離れてあれから6年、「思えば遠くへ来たもんだ」という歌だ。

今であれば、電車のレールに耳をあてただけで不届き者呼ばわりである。あの頃は故郷を離れる物理的距離が、いわば「遠く」を指していた。

ツーリストシップにとっての「思えば遠くへ来たもんだ」は、少し違う。
立ち上げた当初に比べ、人も資金もある程度潤沢になってきた。逆境しかなかったあの頃を思えば、今はそれこそ「思えば遠くへ来たもんだ」となる。物理的な距離ではなく、運営としての展望であり、組織としての底力だ。

講演会の数も増え、価値を提供できる品質が日に日に上がっている。そういう実感を田中代表は確実に持ち得ている。ただツーリストシップを訴えるだけではなく、その土地で求められるニーズに寄り添い、様々なエピソードを踏まえ、題材に応えられる自信がある。こんな光景を当時は想像していなかった。あの頃感じたレールの冷たさは、今となってはもう正確に思い出せない。走り続ける人間にとって、振り返る時間はあまり得意ではない。

かといって、もう目指すレールがないわけではない。組織作りを通じて、もっと大きな、グローバルなオーダーにも応えられる視座と見識を持つことだ。そのことが田中代表の大きなモチベーションになっている。

偶然にもこのタイミングで、実家が京都に移った。原点の地・京都に「戻る」理由が生まれたのである。田中代表にとっての故郷が、以前感じたあのレールを伝い、舞い戻ってきた。「思えば遠くへ来たもんだ」が一段と身体に染みる。

野望は尽きない。そのための準備も惜しまない。途上にあるそのレールの上で、もがく田中代表の姿があった。
「思えば遠くへ来たもんだ」の歌詞はこう締めくくられる。

ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら

奇しくも今、日本経済は上向き、しかし円安は歯止めが効かない。実に複雑な世の中になった。
世界も、日本社会も、ツーリストシップも、実はまだ見ぬ「この先」を、見つめているのだろう。

実はこの歌詞は少しだけ、ツーリストシップと異なる点がある。「ここまで一人で」来たわけではない。
そしてこの先、田中代表が「誰をバスに乗せるのか」。一層の生命線になることは、間違いない。