Vol.30 南国の空に、浮かぶ凧
暖冬とはいうものの、なかなかな底冷えの2月。田中代表は石垣島にいた。
「飛び込みたくなりますよ」
冷える本州とは裏腹に、石垣に映えるのはまさに燃える海、青い空。島が織り成す誘惑に体が吸い寄せられる。
『凧(いかのぼり)きのふの空の ありどころ』
与謝蕪村氏が詠んだとされるこの歌は、空に舞う凧を見て、いつかの空を思い出したという意味があるそうだ。その時思い出した蕪村氏の空は、いつの、どんな頃の自分であったのだろう。果たして石垣の空は、田中代表のツーリストシップを、どのように映し出したのだろうか。
この日のセッションは、「食べていけるかどうか」という話が後半を占めた。数々の学友たちが就職していく中、田中代表はほぼ一人で、この社団法人を立ち上げ、いわば他とは異なる道を選んだ。資金繰りは大丈夫か。人は集まるのか。試練は多く、障壁もあったことだろう。あの日、どうしようもなく天を仰ぎ、嘆いたであろうあの空たちは、今の田中代表にとって、どう映るのか。当時の大変だった頃(今も決して大変ではないということではないが)凧が仮に空を泳いでいたとしても、彼女の目に入ることはなかっただろう。
石垣島の方々との触れ合いが、更にツーリストシップを大きくした。語れば語るほど、膝をつき合わせればつき合わせるほどに、関係性が築かれ、新たな展開が生まれていく。人は仕組みでは動かない、関係性にこそミッション実現の糸口がある。鼓動を傍で感じられるような距離感にこそ、本当のツーリストシップがあると実感する。
石垣島での滞在で、改めて思ったことがある。資金面において、もっと有効活用できる方法はあるはずだと。もっと効果的に、そして効率的に、ことを進める手立てがある。滞在の中で、島民の方々と触れ合う中で、思っていたことがやがて確信に変わる。だからこそツーリストシップが必要なんだ。だから私はこうして、稀有な道を、いばらの道を選んだのだ。凧が舞うあの空に、南風が吹いた瞬間だった。
気が付けばこの連載も30作を迎える。果たしてどんな方々に、どんなことを思い描きながらご覧いただいているのかは、小生知る由もない。行為そのものとしては、ただ空に向かって空砲を打ち鳴らしてきたのと同等であろう。しかしその空に、どんな意味を見出すかは自由であり、選択の余地は広い。読者の方々からの反応は力になるが、その反応ばかり追っていては肝心なことを打ち損ねる。寄りかかり、解き放ち、この距離感の連鎖が30作を生んだといっても過言ではない。そういう節目に、この石垣島の、そして「きのふの空」を取り上げたことは、決して偶然ではない気がしてくる。
「飛び込みたくなりますよ」
日々《飛び込み続けてきた》田中代表の言葉だからこそ思わされる。実はもう彼女はその海に飛び込んでしまったのではないかと。南国の海とはいえ2月である。想像するだけで鳥肌が立つ。実際あの後、本当に《飛び込んだ》のかどうかは、想像に任せることにしよう。
『凧(いかのぼり)その空砲の ありどころ』
拙い文章にここまでお付き合い頂いた皆様に感謝を添えて。改めてこの場をお借りして、御礼申し上げます。小生の空砲が、皆様の心に、その青い空に、どんな音色を響かせているだろうと想像にふけりながら。そして田中代表が、2月の海に飛び込むさまを、想像しながら。