Vol.012 荒れた言葉達が、未来の沃野になる
言葉というもの、けっこうぐらぐらとしていて、単独でいることはできないのである。
不安定なのだ。何かと化合したがっているようなのだ。だから連想ゲームが成立しうるのだ。
『千夜千冊』で有名な著述家、松岡正剛氏の抜粋である。
“連想ゲーム”というテーマの中で松岡氏は、言葉というものは、周辺領域にある様々な別の言葉をつなぎ合わせ、人は様々な連想や関連付けを行う動物であると表現する。
そこには、目に見えない「ことば」という媒体を通じて、感情や想い、そして苦悩やもがきといったものを露わにする、人類の性のようなものを感じた。言葉が単独でいられず、化合を求めたがるのが本来だとしたら、きっと私たちが口にする「ことば」は、美意識や慣例と言ったものをかなぐり捨て、ただただ一途に、その生きざまを野ざらしにしながら、方々(ほうぼう)に放たれ続け、影響を与え合うのだろう。本気であればあるほどに、言葉は荒れる。荒れるからこそ、周辺の言葉達と融合する。その融合が未来を創る。その力強さこそ、「ことば」の威力なのだろう。
この日の田中代表は荒れていた。やけくそとか、怒りとか、そういうことではない。無限の可能性を前に、恐れや不満によるものではない、高ぶる想いを野ざらしにした、一種の武者震いに近い。
意見の相違が起こる。その違えた事実が様々な摩擦や、乾いた空気を生み出す。しかしながら、この違えたもの同士が、やがてまだ見ぬ未来を創り出していく。そうやって人類の叡智は、時代を追うごとに、イノベーションの程度を増していった。
「けっこうぐらぐらとして」いるその言葉達が、相手に届き、想いを巡らせ、そして周りの人たちの心を揺さぶる。ぐらぐらと揺さぶってくれる仲間がいる。過去誰にも相談できない、一人での運営を強いられた頃を思えば、今のこの喧々諤々と議論ができることの、何と恵まれたことか。田中代表は今、しみじみとそれを感じている。
逆境が順境な未来を創る。順境な道のりに成長はない。そのことを田中代表は胸に秘め、今日も訪れる難問に戯れている。化合した言葉達が、やがて未来への連想ゲームをし始める。田中代表の荒れた言葉達は、果たすべき未来像の連想ゲームを止めることはない。本気であればあるほどに、その躍動感は社会を動かす。
NHK『クローズアップ現代』にツーリストシップのブースが登場した。来週には日経新聞にも載る。そんな華やかな実績も、彼女に言わせれば一里塚だ。
この日の田中代表は荒れていた。この荒れた言葉達が、未来の沃野を意味していた。私に言わせれば、何ともたくましく、そして何とも、微笑ましい。(1075文字)