Vol.013  眠れぬ夜の流れは絶えずして

日本三大随筆の一つと言われる「方丈記」。著者の鴨長明が、まさか800年という年月が経ってもなお、こうして読まれ続けている現実を推し量ろうはずはなかった。

出世街道から堕ち、京都・日野の山中にある方丈の庵(いおり)で余生を過ごしたミニマリストの先駆者は、確かに無常の世の中と、見栄や物欲に支配される中で本質的な幸福を問うたその姿勢に普遍性を見たことは想像できる。しかしまさか、800年という年月に耐えうる偉作になろうとは、これは未来のいたずらか、偶然の産物か。未来を紡ぐヒトカケラを、幾重にも折り重ねて時代は生まれ、やがて朽ちるを、繰り返す。

「あれだけ読めば日本がわかる」

巨匠・解剖学者の養老孟司氏は、方丈記をこのように評していた。まさかと思い自身も拝読したが、そこまでの奥深さを感じ取れなかったものの、駄文のない澄んだ表現は、なるほど今も尚読まれる理由の断片に触れることができた。

400字詰め原稿にして25枚程度の分量が、こうも私たちの心に「残そうと迫りくるもの」があるのだとしたら、一体それは何なのだろうと、眠れぬ夜、深い闇に覆われた間断の窓を眺める。

田中代表は先日、あるお坊様と出会う機会があった。そこで建築中の土台を見せられ、かかった費用を聞いて腰が抜けそうになった。億単位の買い物、なぜそこまでしてお金をかけるのかと聞くまでもなく、そのお坊様は、500年後をイメージした建築だからこそ、億単位を要したのだと教えてくれた。

500年後を見据えた買い物。もはや他人事のように聞こえる500年後は、そのお坊様にとっては「成し遂げたい未来」として自身のミッションに手繰り寄せていた。500年を背負う人物の視野には、数代に渡るこの先の、いるはずもない自分自身が映し出されているのかもしれない。

狙えるはずもなく800年の時を跨(また)いだ鴨長明と、意図的に500年を見据えるお坊様とに、もし共通するものがあるとすれば何だろうと、深まる夜に想像を巡らせてみる。どういう人が、どういうものが、時代を超え、長年に渡る価値を創り出していくのか。

「ネプリーグって知ってます?ブースでやってみたいんですよね」

ふと、田中代表のその言葉を思い出す。そして瞬時に、合点がいった。

バックキャスティングで物事を生み出し、動き出す志の高さ。そして無邪気に、思いのままに、「こうだ」と決めて真っすぐに取り組める純粋さ。

そうか、この純度の高さが、後世に残る理由なのかもしれない。やってみたいことがストレートに現れる田中代表にも、その純度の高さが感じられる。そういうことかと、腑に落ちた。

遺すこと《そのもの》が目的ではなく、ただ《こうでありたい》とする《意図を持ちつつ自由度のある》状態、ここに私たちは、本当の普遍的な、価値ある豊かさを見ていく時代に来たのかもしれない。そんなことに気づかされた。

…そしてもう一つ、冴え始めた目を擦りながら、気付かされたことがある。

こういうことを、眠れない夜に考えるもんじゃないと。

「あれだけ読めば観光がわかる」

間もなく世に出るツーリストシップ本を、もし養老孟司氏が読んでくれたら、こう言ってくれるんじゃないかと想像して、また眠れなくなった。