Vol.026 「もう大変」な師走にふと、思うこと。
2023年が終わろうとしている。
年の瀬に入り、まさに「師走」という言葉がぴったりのバタバタな日々を、皆様はお過ごしだろうか。
師走という言葉の語源は諸説ある。「お坊さんが走り回るくらい忙しい」が有力な定説だそうだ。お盆ならいざ知らず、年末のさなか、昔は家にお坊さんを招いてお経をあげてもらうような風習でもあったのだろうか。そんなお坊さんに負けないくらい、「忙しく」慌ただしいニュースが最近目立っている。
自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる問題、いわゆる「あんたら、キックバックもらってるうちゃうん?」である。
日々報道が更新され、あの人もか、この人もかと、具体的な政治家の方々の名前があがる。おそらく党本部は、この対応に追われ、まさに「走り回っておられる」ことだろう。
やや客観的に見たとき(過去幾多のお金の問題が取り上げられるたびに)、思うことがある。
確かにそれが悪いことでしたと決まれば看過できないのだろうが、そもそも、なぜこうして時代が変わろうとも、お金の問題、つまり組織に根深く突き刺さる疑惑は後を絶たないのか。
そういう人物を政治家に選んだ有権者の責任、というロジックもなるほど正しいのかもしれないし、ワイドショーでもよく耳にする展開だ。しかし、いやいや、「そもそも」である。私はどちらの肩も持たない主義だが、どうしてもぬぐえない疑問がある。
どうして「ダメと分かっていること」が起こってしまうのか。大きな組織・政党を維持するうえで「何がそうさせているのだろうか」という問いに立ってみることはできないのだろうかと。
仮に、私のような庶民には知りえない力学があって、そうでもしないと政党の運営が持たないとすれば尚更である。個々の政治家の行為以前に、そういう仕組みや組織体でことを進めようとしている運営面に課題はないのか。課題とするテーマ設定を見直すことはできないのだろうかと、そういう気がしたのである。
「もう大変です」
最近の田中代表は、第一声の言葉をしれっと冒頭に載せていく私の癖を見抜いてか、なかなかキャッチ―な言葉を言い慣れてきた感さえある。力強いというか、「待ってました」のような、そんな空気感が電話越しに伝わってくる。
「大変」なのは言うに及ばず、ツーリストシップ訴求のために何が今必要か、その戦略が「大変」なわけである。やることも多い、課題も降ってくる。判断選択の機会も増していく。
嗚呼、もっと考える時間が欲しい。ツーリストシップの哲学が社会に根を張り、ぶれずに前に進めるにはどうすればいいか。そうか、私の右腕となってくれる人が必要じゃないのか。そんなことが頭を巡る。
そこで考えていることが、ツーリストシップの組織化だった。本部機能を充足させ、機動力と共に統治基盤を固めていく。あわせてツーリストシップという言葉の軸となるものを、さらに明らかにし、伝え届けていく仕組みを構築すること。このことが、未来のツーリストシップには欠かせないということだった。
もう一度言うが、私はどの政党にもどの立場にも身を置くつもりはない。しかし、ここでふと、最近の報道を思い出す。きっと、恐らく、対応に走り回る方々も、ツーリストシップに負けないくらいの志と思いを立てて今日を生きておられるはずである。なのに、こうして、疑念を晴らすことに「走り回る」年末を過ごしている。本来の国是に寄り添えぬ歯がゆい日々を目の前に、私はそのことが無念でならない。
田中代表の描く組織は、この先の未来をどう照らしていくのか。今まで以上に地球儀を駆け回り、汗をかき、そして大きなうねりと哲学を携(たずさ)え、価値を創り続けるであろうことは目に見えている。しかし願わくば、未来に向けた志「以外のこと」で、走り回るようなことにはなって欲しくないなと、まるで親心のような気持ちで聞いている私がいた。
資金面の壁、言語化の壁、組織化の壁。あらゆる壁は、田中代表を更に大きくし、しいてはそれがツーリストシップを磨いていく。それは、理事をはじめとして様々な先輩方の声を真摯に聞き入れ、即座に改善に変えている田中代表の姿勢あればこそだ。
2023年が終わろうとしている。
ツーリストシップの師走は、「忙しく振り回される」師走になるか、はたまた、嬉々として地球儀を駆け回り、その度に活力を高め合える「充実した」師走になるか。
「トップ以上の組織はできませんから。」
最後に聞いたこの言葉で安堵した。私の懸念は、杞憂であった。