Vol.018 なぜ田中代表はサミット当日、講演スライドを「捨てた」のか。
第二回のツーリストシップサミットが終わった。安堵なのか、反省なのか、田中代表の口数は思った以上に少ない。
それは気落ちを意味していない。むしろ、伝えたかったメッセージを伝えきった人のそれであった。
重みが欲しかった。
過去幾多の講演会で、またセミナーで、積み上げてきたプレゼンノウハウや伝達術を、8月6日のあの登壇の瞬間、彼女は捨て去った。美辞麗句を並べ、即興でなぞるような便利なプレゼンを駆使したところで、一旦何を魅了するというのか。
いい会よりも、「残る」会にする。その決意が、あの直立不動の講演を生んだ。
帰るなき
機をあやつりて
征きしはや
開聞よ 母よ
さらば さらばと
歌誌「にしき江」主幹、鶴田正義氏の読んだこの詩(うた)は、知覧を飛び立ち、決死を遂げた特攻隊員を想い詠んだものだ。
もうあれから80年が経とうとしている。それでもなお、色褪せることなくこの詩が知覧特攻平和会館に鎮座するのは、命を賭した者への重みであり、未来へのコミットそのものだったからだろうと思うのである。
きな臭い話をしたいわけではない。戦争とツーリストシップとの対比や風諭(ふうゆ)がしたいわけではない。心に残るということは、そして心に「残す」ということは、実に重く、切実なる柱を立てるということであり、田中代表は、あの時計台のど真ん中で未来への柱を立てた。魂が揺さぶられたという感想が絶えなかった理由も、そこにあるのだろう。「さらば さらばと」とは別れではなく、生き抜くという決意の詩である。
第二回の終焉は、つまりは第三回の始まりを指す。いい会だったねと、互いに慰め合うことはしない。向かう先は、ツーリストシップが地球に違いを創る日、そのコミットする近未来から目を離してはいけない。
うまくいったかどうかは、今の私たちが評価を下すことは許されていない。やがて訪れるその歴史が証明する。田中代表の口数が少ない意味は、恐らくそこにあった。だから、希望が持てる。だから前に進む。「今か 今かと」。
鶴田正義氏が詠んだあの詩は、鎮魂歌であり希望の詩だ。それは、共に歩み、共に分かち合おうとした男の想いであったからだ。だから私たちは、このかけがえのない「今」を享受させて頂いている。やがて私たちに、今を生き抜く決意が芽生える。そしてこれからも、私たちは、未来を生きる。
8月6日当日、この猛暑の中で、あの時計台に足を運んでいただいた、皆さまお一人おひとりの想いと共に。