vol.39 あいさつ一つで、ツーリストシップは生まれる

早朝、雨戸をあけて胸がすくんだ。家の前で人が倒れている。既に数名が群がっていた。
そもそも何が起こったのかさえ分からないが、倒れていることは間違いない。ただ、群がる人たちの動作を見ていて、助けるでもなく関わらないでもなく、何とも言えずキレが悪い。
仕方なく着替えて靴を履き、傍に向かう。見れば泥酔してイビキをかいている。既に警察を呼んでいてそれを待っているという。寝ているとはいえ地面に横たわっているわけだから、もしかすると夜中に喧嘩でもしたかもしれないし、頭を打っているかもしれない。血痕や争った跡があれば大事と思い近くの公園をのぞくが、いつもの平然とした静かな公園だった。救急車は必要ないかと言っている間に警察官がバイクで到着、家族の方と共に運ばれていった。そこに群がる近所の人と、何を話すでもなく、その場から離れた。実にキレの悪い出来事だった。

キレが悪いのは私も同類である。どちらかと言えば関わりたくなかった。ここで振り返って気づいたのは、普段から近所に誰が住んでいるか、まるで理解していないという事実だった。知り合いでもあれば、もっと機敏な行動を取ったかもしれない。ましてや倒れている人が大切な人だったら、こんなもんじゃないだろう。つまり、挨拶もろくにしない者同士が集まると、有事であれ平時であれ、この関係性に融合も何もあったもんじゃない、第一何の役にも立たないという強烈なリアリティがあった。

さて、気分を害する導入を詫びながら、ツーリストシップである。8月6日のサミット直前に田中代表から「コミュニケーションを取っていくことの重要性」を聞いた。万博を契機に、観光街づくりについて考えていきませんかというのが今回のテーマだった。旅行者も住民も、そして観光業を営む人も、分かり合おうとは言ってもいきなり有効的な関わりを創り出すことは難しい。どうしてもそこに立場の違いによる壁というものが介在する。ただ単純に挨拶をして声をかけていく小さな試みで、壁はやすやすと超えていける。それぞれの立場に巣食う億劫さを、たった一言のあいさつで克服できるかもしれない。その可能性を田中代表は改めて示唆してくれた。

沖縄からミュージシャンもやってきた。前回の倍以上のサミット動員数は、ツーリストシップの成長を暗示する実績である。難局を幾多も乗り越え、複雑な国際問題に真正面から向き合い続けてきたツーリストシップが、今更ながらコミュニケーションという手垢付きまくりの大命題と対峙していた。それでも人は分かり合えないでいる。近所づきあいで、挨拶一つできない関係性はあちらこちらに存在している。田中代表はその対話の重要性として「信用の回復」という言葉を使った。回復という言葉が妙に刺さる。あの早朝、キレの悪さを露呈した諸々の光景がオーバーラップする。単純なものほど、対策は難しい。ツーリストシップは、近所の人との関係性にまで言及していた。何とも言えない、バツの悪さである。

これを書いているのは、既にサミット開催後である。お恥ずかしながら私はサミットに行けなかった。明日、田中代表と電話面談の予定である。実に充実した報告を聞くことができることは想像に難くない。ところで倒れていた人は無事だろうか。そんなことをふと思い起こしながら、もしあの場にツーリストシップのマインドが花開いていたらと、その面影を追いかけてみる。ああ、なるほどと、納得した。あいさつはやはり関係性構築の軸である。その一言で壁は溶けていくのであると、今更ながら、気付かされた。