202602 by Uesato 高松を、高松のまま味わう旅
こんにちは、こんばんは。ウエサトです!
今月、私は香川県の高松市へ1週間の出張に行ってきました。
目的は、観光事業者の皆さん、住民の皆さん、そして観光客の皆さんへのヒアリング。
“観光のリアル”を、その土地の声から受け取るための滞在です。
今回の出張は、とても心強いスタートでした。
高松までの移動も、現地での移動も、すべて当法人のサクライさんの運転。
慣れない土地での移動の不安がないというのは、こんなにも安心できるものなのかと実感しました。(サクライさん、本当にありがとうございます。)
移動の心配がない分、私の頭の中はずっとシミュレーション。
「どんな問いを投げかけようか」「お話を引き出せるだろうか」
少しの緊張と、少しの期待を胸に、1週間が始まりました。
高松に到着してまず感じたこと。
「うどん屋さんが多い!」
そして、「ガレージが多い!」
語彙力が足りないようでいて、でもこれが正直な第一印象でした。
町のあちこちに、日常に溶け込むうどん屋さん。
観光地の“名物店”というよりも、地域の人が当たり前のように立ち寄る場所なのだと感じました。
「困っていない」という豊かさ
ヒアリングは、観光事業者の方々から始まりました。
それから、商店街で出会った住民の皆さん。そして、観光地で出会った観光客の皆さん。
丁寧に耳を傾けていく中で、私が驚いたのは、多くの方がこう答えたことです。
「特に困りごとはないですね。」
穏やかな瀬戸内海。
穏やかな住民の皆さん。
京都で育った私にとって、それは“違い”として印象に残りました。
どちらが良い悪いではなく、
ただ、観光との距離感が少し違うのだと感じたのです。
コンパクトシティの、近い距離感
高松市はコンパクトシティ。
暮らしと観光の距離がとても近い町だと教えていただきました。
うどん屋さんは、働く方や住民の方がお昼を食べに来る落ち着いた場所。
そこに観光客が“体験の場”として長時間滞在する。
それは悪いことではないけれど、
「少しだけ違和感が生まれることもあるかもしれない」
そんな想像をしました。
観光地とは、観光のために存在している場所なのでしょうか。
多くの場合、観光地とは、誰かが暮らしている場所であり、
生活が営まれている場所のすぐそばです。
でもそれを「観光地」と見ているのは、外から訪れる私たちなのかもしれません。
住んでいる人にとっては日常。
訪れる人にとっては非日常。
同じ場所なのに、見えている景色が違うということです。
そのことを、改めて考えさせられました。
そして例えば、「日本に行こう」となったとき、
東京、京都、大阪、北海道……と有名な地名を並べる旅になることがあります。
もちろん、それも素敵な旅です。
でも私は思いました。
「とりあえずここも行こう」ではなく、
高松市なら、高松市を高松市のまま知って、楽しむ旅が増えたらいいな、と。
うどんだけではなく、
海の光や、町の距離感や、人の話し方まで含めて味わう。
それは高松に限った話ではありません。
どの地域も、誰かの暮らしの場所です。
だからこそ、問われるのは“人数”よりも“姿勢”。
例えば、高松市でうどん屋さんに行ったのだとしたら
・入店時に、きちんと挨拶をする
・食べ終わったら、さっと席を譲る
・地域の日常のリズムを尊重する
ほんの小さな行動が、その町の穏やかさを守るのだと思いました。

高松を、高松のまま味わう旅。
そんな旅人が、これから少しずつ増えていったら。
きっとこの街の穏やかさは、そのまま未来へ続いていくのだと思いました。
1週間の滞在を経て、
私にとって高松は、静かに心に残る町でした。
次に訪れるときは、
アートをめぐり、喫茶店を開拓し、うどんを味わい、
穏やかな海のそばをゆっくり歩きたい。
また行きます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回、他のメンバーが更新しますので、お楽しみに♪
風邪などが流行っておりますので、皆さまどうかお身体にお気をつけて。それでは、また👋


