202509 by Tanaka 鬼滅の刃から考える「敬意」とは

こんにちは!

ツーリストシップのタナカです。

今日は、ちょっと遅いけど、鬼滅の刃を見た時に思ったことについて、お話したいと思います。

やっぱりどこにいても、ツーリストシップと関係させながら考えちゃう癖が…


私たちは日々「敬意」という言葉を使います。
旅先への敬意、文化への敬意、人への敬意。

ところが、映画『鬼滅の刃』を観た時、私は心の中で強い違和感を覚えました。

再生能力をもつ最強の鬼たちが、人間の必死の努力に向かって、
「賞賛するよ」――つまり「敬意を払うよ」と口にするのです。

けれどその響きは、決して誉め言葉ではなく、あざ笑うような挑発に聞こえました。
その瞬間、私は「敬意」という言葉の奥深さに気づかされたのです。

私たちは誰かに敬意を払うとき、相手との心理的距離を強く感じています。
圧倒的にすごい存在――たとえば大谷翔平選手のような人――に対して払うものだと思っていました。

けれど鬼の言葉を通じて、実は「見下している相手」に対しても「敬意」やそのニュアンスの言葉を使えることを知ったのです。
つまり敬意には、「憧れを込めた近づきたいと思う敬意」だけでなく「嘲笑を含む別に近づきたくはない敬意」もあるのでしょうか。

しかし後者の使用に対しては違和感があり、それは敬意の正しい使い方ではないように思います。
私の中で敬意と言う言葉は、自分より上の何かに対してその価値を認め、あわよくば近づきたい行為なのではないかと思うのです。

しかし、それを考えるとまた変なことに気付きました。

「旅先への敬意」は、旅先を自分の文化よりすごいものとして敬うということ?
うーん、変です。なんだか、違います。

そこで、英語のrespectを調べてみました。
語源は、ラテン語の re-(再び)+specere(見る)。
「もう一度見直す」「立ち止まって見つめ直す」という意味です。

つまり、旅先へのリスペクトとは、その土地の文化や人々を改めて見つめ直し、そのままの姿を受け入れること。
上下の関係ではなく、フラットな姿勢から始まるのです。
お恥ずかしながら、初めて知りましたが、上下関係がなくても「認める」という作業ができるのですね。
なんだか、このほうが、しっくりきます。

異文化をじっくり見つめ直し、その存在をそのまま受け入れる、リスペクト。
旅を豊かにする姿勢そのものだなと感じました。

敬意と言う言葉は日本らしくて素敵なのですが、ツーリストシップの文脈では、リスペクトという言葉が合うなと感じたところです。

鬼滅の刃を見ていただけなのですが、言葉の新しい側面を知れたことが、ちょっとハッピーでした。

次回、他のメンバーが更新しますので、お楽しみに!!